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【PUBLICITY 1933】2013年7月2日
日の丸が泣いている――人種差別の報道考 その1
offnote@mail.goo.ne.jp
▼「綴老」の「老」の評判が悪い。「まだ老人じゃねえだろ」
とか「老成するな」とか。竹中労の一字を拝借して、「綴労」
にします。ネット内での主な動きがツイッターのメモであるこ
とは変わりませんので悪しからず。
▼新大久保や鶴橋などで猛威を振るう人種差別デモをめぐって
、熟読玩味(じゅくどくがんみ)すべき言葉を見つけた。20
13年6月21日付毎日新聞に載っていた鈴木邦男(一水会顧
問)の談話だ。在特会(在日特権を許さない市民の会)につい
て、鈴木はこうコメントする。
「彼らがどんな言葉を吐いているのか、メディアは包み隠さず
報道すべきだ。報道することが助長するという考えもあるだろ
うが彼らの主張に共感する日本人はほとんどいないはずだ」。
「包み隠さず報道すべきだ」と鈴木邦男に言わしめるところに
、在特会の問題の深刻さが浮き彫りになっている。
▼鈴木は「右翼」の概念を更新し続けている言論人だ。数えき
れないデモと演説を繰り返してきた彼の眼には、在特会に対す
る「警察の対応」の意味が、はっきり映っているはずだ。
鈴木たちはかつて何度も警察からデモを邪魔され、妨害され、
闘ってきた。翻って在特会は決して警察から邪魔されたり、妨
害されたりしていない。警察は在特会を放置しているのだ。警
察は、あの程度の動きを、つぶそうと思えば瞬時につぶせる。
それを「しない」のは、あの「暴力の塊(かたまり)」を「認
めている」に等しい。
▼じゃあ警察が介入すべきか。それは最悪だ。すでに「レイシ
ストをしばき隊」や「プラカ隊」など、在特会の狂ったデモに
対抗する素晴らしい「民間」の動きがある。少しずつ分厚くな
っている。この運動に携わる人々をぼくは心から尊敬する。人
種差別デモを止める方法は、これしかない。
▼「ヘイトスピーチデモを見て、私は使われている日の丸の旗
が泣いていると思った」(鈴木邦男)この一言にぼくは胸を打
たれた。そのとおりだと思った。日の丸は涙を流し続けている。
「明治」という時代が始まった頃、薩長をはじめとする連合軍
は、会津の掲げた日の丸に照準を合わせて銃弾を放った。「平
成」という時代、政府は国旗国歌法をつくり、日の丸と君が代
を教育現場で「強制して敬わせる」という、「克(よ)ク忠ニ
克ク孝ニ」を強いた教育勅語式の倒錯を繰り返している。
▼人種差別の被害を調べたり、罰則のない人種差別禁止法をつ
くったり、国家権力を使ってできることはある。「市民の力だ
けで防げるなら、なぜ欧州では法規制があるのか」という角度
からニッポン社会を相対化する必要もある。これらの検討が進
むかどうかも含めて、最も重要な鍵はマスメディアの態度だ。
人種差別の報道はすべて、人種差別を食い止める動きにつなが
る内容でなければ価値がない、とぼくは考える。
(つづく)
2013年7月2日 竹山綴労
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【PUBLICITY 1934】2013年7月6日
日の丸が泣いている――人種差別の報道考 その2
offnote@mail.goo.ne.jp
▼在特会の人種差別デモがどれほど凶暴か。現場であの大音響
の罵倒に頭蓋骨を震わせてみないと、本当にはわからないし、
いや、所詮、ニッポン人にはわからないだろう。
「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」「朝鮮人は皆殺し
」(2013年6月8日付東京新聞)、「ゴキブリ、ウジ虫、
朝鮮人。お前らを一匹残らずたたきつぶす」(2013年6月
18日付毎日新聞)、女子中学生が「鶴橋大虐殺を起こせ」と
叫び、大人たちが拍手喝采を送る(2013年7月3日付東京
新聞)。
こうした在特会デモの言葉は、新聞、雑誌にそこそこ報じられ
ている。YouTubeで検索すれば動画も簡単に見つかる。それら
から、少しは現場の恐怖を想像することができる。
ぼくの場合、コリアンタウンの旨い焼肉屋に行く途中、あの暴
力集団に出くわした。「血が凍る」ってのはこういうことか、
と感じた。彼らにこそ「暴力団」の名が相応しいと思った。
▼警察が在特会のあの朝鮮人いじめを野放しにするのは無理も
ない。なにしろ日本政府は朝鮮学校をわざわざ高校無償化から
排除しているのだ。政府が人種差別政策をとっている以上、警
察組織がその方向に逆らって動くはずはないだろう。
平成の世になって、朝鮮学校の女子生徒がチマチョゴリを切り
裂かれても警察はろくに捜査せず、あの美しい民族衣装を街中
で一切見かけなくなった。
5年後に日の丸が法制化された。その日の丸を高く掲げて、今、
子連れのお母さんや制服姿の未成年の女の子が街を練り歩き、
在日コリアンに罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせ続けてい
る。
▼どう報ずるか。ぼくの尊敬するある人が「無視すべし。安田
浩一氏の『ネットと愛国』は良書だが、あれが彼らを増長させ
てしまった」「悪質な政治家から在特会に対して経済的援助も
出ている。むしろそこを叩くべきだ」と言っていた。そうかも
しれない。実際に在特会に対するエールを公言する議員もいる。
8月15日を前後して、人種差別の嵐が狂気の度を増すかもし
れない。ぼくは彼らの発言を「包み隠さず報道」するだけでは
足りないと思う。彼らに対抗する運動に光を当て、ぐっと重点
を移せば、新しい報道のかたちが生まれるのではないか。
▼発表報道漬けの仕事に慣れた人たちにとっては「民間」対「
民間」の闘いなんて不向きな取材だろうが、「人種差別に関す
る全国会議員アンケート」や「外国人100人に在特会デモを
見てもらいました」えとせとら、手軽で価値的な企画もあろう。
そこらにいる人が、暴力に対して知恵と勇気で立ち向かう。そ
の生活感情と葛藤こそ、ジャーナル=日々の記録に馴染(なじ
)む。新しいニッポンの自画像が浮き彫りになるかもしれない。
人種差別をめぐる「客観報道」とは、差別されている側に立っ
た「主観報道」である。「中立的立場」に立つとは、いじめら
れている人々の側に立ち、徹底的に「偏向」する勇気を持つ、
ということだ。(了)
2013年7月6日 竹山綴労
offnote@mail.goo.ne.jp
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