「<ロンドンSW19から>のライブラリ」より。今回は抜粋じゃなくて増量。
http://ameblo.jp/nfsw19library/entry-10921880257.html
安全な被爆量はない、特に内部被爆については。
テーマ:放射能の影響
2011-06-13 08:24:45 posted by nfsw19library
*
ピース・フィロソフィー・センターのウェブサイト(当ブログ右コラムの「原発震災用巡回リンク」にも収録)に2011年6月8日付けで掲載された記事「オーストラリアからの手紙と、ヘレン・カルディコットNYT紙寄稿和訳:「安全な被曝量というものはない」」から、NYT紙掲載原稿の翻訳をお借りして貼り付ける。
当該記事には、この記事を翻訳した椎根さん(南相馬市出身で現在オーストラリア在住)のご家族のことが記事の前置きとコメント欄を使って記されており、それが現在、大量に発生していると聞く「理不尽にも逃げるに逃げられない人々」についての例証のひとつになっているので、翻訳記事のあとにまとめておきます。
http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/06/unsafe-at-any-dose-op-ed-in-nyt-by.html
以下の記事中でも紹介されている「2009年にニューヨーク科学アカデミーより出版された報告書」は、できるだけ早い時期の出版を目指して翻訳プロジェクトが現在進行中。専門家による専門家のための報告書なので、情感に訴えようなどという意図はまったくない書き方だが(それどころかほとんど事実の列挙のみと言っていい)、淡々とした叙述なのに、あるいは、それゆえに虚をつかれて読んでいて泣けてくる。この報告書はチェルノブイリの被害についての過去と現在の記録であるとともに、フクシマ後のそう遠くない未来のわたしたちの記録を先取りしている。
*
2011年4月30日ニューヨーク・タイムズ寄稿
http://www.nytimes.com/2011/05/01/opinion/01caldicott.html
安全な被曝量というものはない
ヘレン•カルディコット
オーストラリア・シドニー
(翻訳 椎根智子・乗松聡子 協力 松崎道幸)
6週間前、日本の福島第一原子力発電所での原子炉損傷を初めて耳にした時、私にはすでに「その後」がわかっていた。格納容器や燃料プールのいずれかが爆発するようなことがあれば、北半球で何百万といった規模でガンが増えるであろうということだ。
原子力発電推進派の多くが、このことを否定するであろう。先週(4月末)、チェルノブイリ原発事故25周年を迎えたが、チェルノブイリ事故の影響で死亡した人はほとんどなく、被害者の二世にも遺伝的異常は比較的少なかったと主張する人は少なくなかった。このような主張は、石炭などと比べいかに原子力が安全か、という議論への安易な飛躍を招いてしまうし、福島近辺に住む人びとの健康への影響は大したことはないだろうという楽観的な予測にもつながるおそれがある。
しかし、このような見方は、間違った情報に基づいており、短絡的である。原発事故の健康被害について、一番よく知っているのは私たち医者である。チェルノブイリによる死亡者数については、これまで激しく論争がなされてきた。国際原子力機構(IAEA)は、ガンによる死亡者数をおおよそ4000人程度と予測したが、2009年にニューヨーク科学アカデミーより出版された報告書では、百万人に近い人びとが、ガンやその他の病気で既に死亡していると報告している。また、高い被曝線量が多くの流産を引き起こしたので、実際遺伝子に損傷を受けた胎児でどれだけの数が生まれ出ることができなかったのか、私たちは知るよしもない(ちなみにベラルーシとウクライナの両国には、奇形で産まれて来た子供たちで一杯のグループホームがある)。
原子力事故には、終わりというものがない。チェルノブイリの放射性物質の影響の全容が明らかになるまで、これから何十年も、場合によっては何世代もかかるのである。
ヒロシマ•ナガサキの経験からわかるように、ガンにかかるのには長い年月を要する。白血病になるのは5年から10年ほどであるが、固形ガンでは15年から60年を要する。さらに、放射線による突然変異のほとんどは劣性である。わたしの専門である嚢胞性繊維症などの特定の病気をもつ子供ができるのは、何世代もかけて、二つの劣性遺伝子がそろうからである。チェルノブイリとフクシマから放出した様々な放射性物質同位体が原因で、遠い未来に渡り、一体どれくらいのガンや他の病気が引き起こされるか、わたしたちには到底想像はつかない。
医者はこのような危険性をわかっている。医者である私たちは、白血病で死にかかっている子どもの命を救おうと必死になる。乳ガンの転移で死にゆく女性の命を何とか救おうとがんばる。しかし医学的見解では、不治の病に関して唯一頼りになるのは予防なのである。故に、核産業に属する物理学者たちに真っ正面から立ち向かうことができるのは、われわれ医者なのだ。
核産業に関係する物理学者たちは、もっともらしく放射線の「許容線量」について話す。彼らは一律に体内の放射性物質を無視する。内部被ばくというのは、原子力発電所、あるいは核兵器実験によって出された放射性物質が身体の中に摂取された、あるいは吸い込まれることを言い、少量の細胞に対し非常に高い線量を与える。原子力産業の物理学者たちは、原発、医療用のX線、宇宙や大地からの自然放射線といった、一般的には内部被ばくよりも害の少ない、外部被ばくの原因となる同位体のことばかり話すのである。
しかしながら、医者は、放射線の線量に安全なレベルなどないことを、そして放射線の線量は累積するということを知っている。その放射線によって変異が起きた細胞は、概して有害である。私たちは皆、何百種類もの病気の遺伝子を持っている。嚢胞性繊維症、糖尿病、フェニルケトン尿症、筋ジストロフィーなどである。今現在記録されている遺伝病の数は2600を越え、そのうちのいずれも、放射線による変異によって引き起こされる可能性があるのであり、実際にこれらの病気は、人為的に引き上げられてきているバックグラウンドの放射線レベルと共に増加するだろう。
これまで長い間、核産業に雇われた物理学者たちは、少なくとも政治力とマスメディアの世界において、医者をしのいできた。1940年代のマンハッタン計画から、物理学者たちは米国議会へ、いともたやすく出入りしてきた。彼らは核エネルギーを利用するのに成功し、そして核兵器や原子力発電推進のロビー活動においては、核エネルギーと同様の力を発揮した。物理学者たちは米国議会に入り込み、議会は事実上彼らに屈服した。彼らの技術的進歩は誰もが認めるところだが、その弊害は、何十年も後になってから明らかになる。
それに比べ医者は、議会からほとんどお誘いも受けず、核問題に関してほとんど情報のアクセスや助言の機会がない。私たち医者は、通常はガンの潜伏期間や放射線生物学の目覚ましい進歩について触れ回ったりはしない。しかしその結果、私たちは、政策立案者や一般市民に対し、放射線の長期的危険性や害においての説明を十分にしないでここまで来てしまった。
医者はガン患者が来ても、例えば1980年代にスリーマイル島の風下に住んでいませんでしたか、とか、スリーマイル島近くの牧草地で草を食んでいた牛のミルクを使ったハーシーズ社のチョコレートを食べましたか、などとは失礼になるので聞けない。私たちは、初めから大災害を止めようと戦うよりも、起きてしまった後に処理しようとするが、それではいけない。医者は核産業に立ち向かわなければならない。
原子力はクリーンでもなく、持続的でもなく、また化石燃料の代替となるものでもない。それどころか、原子力は実質上地球温暖化を悪化させるものである。太陽光、風力、地熱利用と、節約を組み合わせることにより、私たちのエネルギー需要は満たされる。
当初は、放射線がガンを引き起こすなど全く思いも寄らなかった。マリー•キュリー夫人とその娘は、自分たちが扱った放射性物質によって死ぬことになるとは思っていなかった。しかし、マンハッタン計画の初期の原子力物理学者たちが放射性元素の有毒性を認識するまでに、長い年月はかからなかった。私は、彼らの多くと知り合いである。彼らは、ヒロシマ•ナガサキにおける自分たちの罪が、核エネルギーの平和利用によって赦免されることを願っていたが、実際にはその罪はより重くなるだけであった。
物理学者の知識によって核の時代は始まった。医者の知識と、威信と、正当性をもてば、核の時代を終わらせることができる。
***** ***** *****
ヘレン•カルディコット− PSR(Physicians for Social Responsibility 「社会的責任を果たすための医師団」)創設者。著書に Nuclear Power Is Not the Answer などがある。
*
上記記事のまえおきから
ティルマン・ラフ、ピーター・カラモスコス、田中利幸、ガバン・マコーマック各氏に続き、原発問題について、オーストラリアに活動拠点を置く専門家、ヘレン・カルディコット氏の声を紹介します。この記事の訳者はやはりオーストラリア在住、震災と原発事故の被災地である福島県南相馬市出身の椎根智子(しいね・ともこ)さんです。椎根さんからこの翻訳文が届いたときのお便りには、カルディコットさんの講演会に出て、彼女と直接話したときの報告、そして現在の椎根さんの家族が置かれている状況などが書かれていたので、許可をもらってここに一緒に掲載します。また、この投稿のコメント欄には、椎根さんから追加で送られてきた、事故から今に至るまでの、南相馬の詳しい状況が書かれていますので併せてお読みください。(PPC)
わたしは現在オーストラリア在住ですが、出身は福島県の南相馬市で、原発事故で家族も影響をうけ、避難したくとも旦那に反対されているといった小さい子供をもつ友人もいて毎日遠くから見守るだけで心を痛めておりました。
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2011年06月12日
2011年06月11日
子どもたちは放射能汚染地域に「住める」かどうかではなく「住むべきでない」
「<ロンドンSW19から>のライブラリ」より抜粋
http://ameblo.jp/nfsw19library/entry-10920165190.html
子どもたちは放射能汚染地域に
「住める」かどうかではなく
「住まないほうがいい」
「住むべきでない」
2011-06-11 16:36:59 posted by nfsw19library
毎年夏になると、ベラルーシのチェルノブイリの放射性核種に汚染された地域に住む子どもたちは、民間の支援団体の招きで外国に出かける。ヨーロッパ各地やアメリカ大陸、日本でも北海道などにやってくる。放射能の影響による各種の病気を治療したり、定期的なヘルスチェックを受けるためだ。
チェルノブイリの事故からはすでに25年を経たので、つまり、いま海外で治療を受けているのは事故からずっとあとで生まれた子どもたちだ。生まれて育って住んでいる場所の汚染状態が、まだずっと非常時のままなので、「健康」を取り戻すためには外に出るほか方法がない。
と言っても、実はベラルーシには、いわゆる「健康」な状態で生まれてくる子どもはほとんどいない。事故当時に子どもだった親の世代が被曝し、傷ついた遺伝子を通じてそれを受け継いでいるからだ。
いまの数値ならリスクは低いとかまだ耐えられる、ではなくて、数値が平常値に近くなるまで、せめて表土の汚染の除去が終わるまで、福島の子どもたちはできるだけ遠くに疎開させるべきだ。その子の健康のためだけでなく、次の世代、次の次の世代、次の次の次の世代(もし、あったとして)のためにも。
*
情報を開示し子供と妊産婦を守れ(抜粋)
松本市長 菅谷 昭 氏
聞き手 編集局長 島田一
2011年6月6日 金融ファクシミリ新聞 TOPインタビュー
http://www.fng-net.co.jp/itv/index.html
――今や日本国民は何を信じればいいのかわからない状態だ。チェルノブイリ原発事故の医療支援活動を5年半にわたり従事されたご経験からいかにお考えか…。
菅谷 もはや、国、東電、安全保安院の3つとも信じられないというのが一般論だ。日本国民は、自国の政府が信じられないという一番不幸な状態にある。また、そういった大変な状況にあるということを、政治家たちの多くが認識していないということも、さらに日本国民を不幸にしている。そんな中で民主党だの自民党だのといがみ合っている日本という国は、国際レベルで馬鹿にされても仕方がない。残念だが、海外からの日本の評価は本当に落ちてしまっている。国家の使命とは、国民の命を守り、国を守ることだ。確かに産業経済も大事かもしれないが、国民の命があってこそ、その上に産業経済があり、金融があり、国際的な立場がある。私は今のような状況を見ていると本当に残念で、寂しくて仕方が無い。
――次から次に後出しで悪いニュースが発表されている。このような政府の対応の仕方については…。
菅谷 非常にまずい。それは、誰も原発事故を身近に経験したことがないために、何もわからないからだ。(略)そもそも、自然災害と原子力災害が全く違うものだという認識も、今の日本人には少ないと思う。被災者には大変お気の毒だが、地震や津波の瓦礫だけであれば、みんなで力を合わせて片付ければ、そこは必ず復興して住めるようになる。(略)しかし、放射能災害では汚染された場所に再び定住することは基本的に難しい。実際にチェルノブイリ原発事故が起きた周辺30キロゾーンは、25年たった今でも強制避難区域が解除されていない。それだけ土壌汚染が酷いということだ。
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http://ameblo.jp/nfsw19library/entry-10920165190.html
子どもたちは放射能汚染地域に
「住める」かどうかではなく
「住まないほうがいい」
「住むべきでない」
2011-06-11 16:36:59 posted by nfsw19library
毎年夏になると、ベラルーシのチェルノブイリの放射性核種に汚染された地域に住む子どもたちは、民間の支援団体の招きで外国に出かける。ヨーロッパ各地やアメリカ大陸、日本でも北海道などにやってくる。放射能の影響による各種の病気を治療したり、定期的なヘルスチェックを受けるためだ。
チェルノブイリの事故からはすでに25年を経たので、つまり、いま海外で治療を受けているのは事故からずっとあとで生まれた子どもたちだ。生まれて育って住んでいる場所の汚染状態が、まだずっと非常時のままなので、「健康」を取り戻すためには外に出るほか方法がない。
と言っても、実はベラルーシには、いわゆる「健康」な状態で生まれてくる子どもはほとんどいない。事故当時に子どもだった親の世代が被曝し、傷ついた遺伝子を通じてそれを受け継いでいるからだ。
いまの数値ならリスクは低いとかまだ耐えられる、ではなくて、数値が平常値に近くなるまで、せめて表土の汚染の除去が終わるまで、福島の子どもたちはできるだけ遠くに疎開させるべきだ。その子の健康のためだけでなく、次の世代、次の次の世代、次の次の次の世代(もし、あったとして)のためにも。
*
情報を開示し子供と妊産婦を守れ(抜粋)
松本市長 菅谷 昭 氏
聞き手 編集局長 島田一
2011年6月6日 金融ファクシミリ新聞 TOPインタビュー
http://www.fng-net.co.jp/itv/index.html
――今や日本国民は何を信じればいいのかわからない状態だ。チェルノブイリ原発事故の医療支援活動を5年半にわたり従事されたご経験からいかにお考えか…。
菅谷 もはや、国、東電、安全保安院の3つとも信じられないというのが一般論だ。日本国民は、自国の政府が信じられないという一番不幸な状態にある。また、そういった大変な状況にあるということを、政治家たちの多くが認識していないということも、さらに日本国民を不幸にしている。そんな中で民主党だの自民党だのといがみ合っている日本という国は、国際レベルで馬鹿にされても仕方がない。残念だが、海外からの日本の評価は本当に落ちてしまっている。国家の使命とは、国民の命を守り、国を守ることだ。確かに産業経済も大事かもしれないが、国民の命があってこそ、その上に産業経済があり、金融があり、国際的な立場がある。私は今のような状況を見ていると本当に残念で、寂しくて仕方が無い。
――次から次に後出しで悪いニュースが発表されている。このような政府の対応の仕方については…。
菅谷 非常にまずい。それは、誰も原発事故を身近に経験したことがないために、何もわからないからだ。(略)そもそも、自然災害と原子力災害が全く違うものだという認識も、今の日本人には少ないと思う。被災者には大変お気の毒だが、地震や津波の瓦礫だけであれば、みんなで力を合わせて片付ければ、そこは必ず復興して住めるようになる。(略)しかし、放射能災害では汚染された場所に再び定住することは基本的に難しい。実際にチェルノブイリ原発事故が起きた周辺30キロゾーンは、25年たった今でも強制避難区域が解除されていない。それだけ土壌汚染が酷いということだ。
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2011年06月10日
説明責任ーー日本発の核災害についての村上春樹の責任の取り方
「<ロンドンSW19から>のライブラリ」より抜粋
http://ameblo.jp/nfsw19library/entry-10919429942.html
説明責任ーー日本発の核災害についての村上春樹の責任の取り方
テーマ:脱原発を考える
2011-06-10 21:03:58 posted by nfsw19library
ちょっと、じゃなくて、ものすごく忙しいので記事のアーカイブのみ。フクシマ原発震災についての村上春樹の発言について、まず、それを報じる記事。東京新聞の記事はURIが変更になってるみたいで行方知れず。よって日経で代用。共同の配信が元なので長さに多少の違いがあるだけでどれでも同じだろ。
*
「核へのノー貫くべきだった」 村上春樹氏がスピーチ
カタルーニャ国際賞授賞式
2011/6/10 7:49 (2011/6/10 10:54更新) 日本経済新聞
http://s.nikkei.com/kluf4i
スペイン北東部のカタルーニャ自治州政府は9日、人文科学分野で功績のある人物に贈るカタルーニャ国際賞を作家、村上春樹さん(62)に授与した。バルセロナの自治州政府庁舎での受賞スピーチで村上さんは、東日本大震災と福島第1原子力発電所の事故に触れ、原爆の惨禍を経験した日本人は「核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」と述べた。
「非現実的な夢想家として」と題したスピーチで、村上さんは震災後の日本がやがて「復興に向けて立ち上がっていく」と強調。ただ、原発事故は、広島、長崎に原爆を投下された日本にとって「2度目の大きな核の被害」とし、今回は「自らの手で過ちを犯した」との厳しい見方を示した。
村上さんは「効率」優先の考えが過ちの原因とした上で、政府と電力会社が「効率の良い発電システム」である原発を国策として推進した結果、地震国の日本が世界第3の原発大国になったと指摘。原発に疑問を持つ人々は「非現実的な夢想家」として退けられたと批判した。
その上で「われわれは持てる英知を結集し原発に代わるエネルギー開発を国家レベルで追求すべきだった」とし、それが広島、長崎の犠牲者に対する「集合的責任の取り方となったはずだ」と述べた。
村上さんはまた、復興に際し建物や道路と違って簡単に修復できないのは「倫理や規範」だと指摘。「倫理や規範の再生はわれわれ全員の仕事だ」とした。「夢を見ることを恐れてはいけない。『効率』や『便宜』という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはならない。われわれは力強い足取りで前に進んでいく『非現実的な夢想家』でなくてはならない」と締めくくった。(バルセロナ=共同)
*
この共同通信の記事は非常によく書けていて、こんなに短い記事のなかに、村上春樹のスピーチの骨格部分のほとんどが網羅されている。これに筋肉につけたものが以下に続く抜粋で、かれが言おうとしたことがもう少し生き生きと立ち上がるはずだ。しかし、これもスピーチの冒頭部をばっさり省略してあるので、お時間のあるかたはぜひ全文をお読みください。
以下に続く抜粋のあとにちょっとした感想を書いた。3月以来ずっと感じてきたことで、いままでにもブログで小出しにしてきたと思う(忘れた)が、わたしはこれがいやでいやでたまらなかった。
ひとことで言えば、「パニックしているくせにそれを受け入れられず、冷静なふりをしたオヤジ的な者たちの口から発せられた安っぽいヒロイズム」だ。そういうオヤジたちと同じ世代に属しながら、この村上春樹のスピーチにはそれがみじんもなく、また、自ら進んで政治的であろうとする態度に感銘を受けた。
*
以下、毎日新聞のウェブサイトに掲載されている原稿全文から抜粋。全文は以下に記した毎日のウェブサイト、あるいはこちらに拾ってあります。
村上春樹:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿(抜粋)
毎日新聞 2011年6月10日 18時55分(最終更新 6月10日 19時09分)
(上) http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html
(下) http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040019000c.html
「非現実的な夢想家として」
(前半略)
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
続きを読む
http://ameblo.jp/nfsw19library/entry-10919429942.html
説明責任ーー日本発の核災害についての村上春樹の責任の取り方
テーマ:脱原発を考える
2011-06-10 21:03:58 posted by nfsw19library
ちょっと、じゃなくて、ものすごく忙しいので記事のアーカイブのみ。フクシマ原発震災についての村上春樹の発言について、まず、それを報じる記事。東京新聞の記事はURIが変更になってるみたいで行方知れず。よって日経で代用。共同の配信が元なので長さに多少の違いがあるだけでどれでも同じだろ。
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「核へのノー貫くべきだった」 村上春樹氏がスピーチ
カタルーニャ国際賞授賞式
2011/6/10 7:49 (2011/6/10 10:54更新) 日本経済新聞
http://s.nikkei.com/kluf4i
スペイン北東部のカタルーニャ自治州政府は9日、人文科学分野で功績のある人物に贈るカタルーニャ国際賞を作家、村上春樹さん(62)に授与した。バルセロナの自治州政府庁舎での受賞スピーチで村上さんは、東日本大震災と福島第1原子力発電所の事故に触れ、原爆の惨禍を経験した日本人は「核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」と述べた。
「非現実的な夢想家として」と題したスピーチで、村上さんは震災後の日本がやがて「復興に向けて立ち上がっていく」と強調。ただ、原発事故は、広島、長崎に原爆を投下された日本にとって「2度目の大きな核の被害」とし、今回は「自らの手で過ちを犯した」との厳しい見方を示した。
村上さんは「効率」優先の考えが過ちの原因とした上で、政府と電力会社が「効率の良い発電システム」である原発を国策として推進した結果、地震国の日本が世界第3の原発大国になったと指摘。原発に疑問を持つ人々は「非現実的な夢想家」として退けられたと批判した。
その上で「われわれは持てる英知を結集し原発に代わるエネルギー開発を国家レベルで追求すべきだった」とし、それが広島、長崎の犠牲者に対する「集合的責任の取り方となったはずだ」と述べた。
村上さんはまた、復興に際し建物や道路と違って簡単に修復できないのは「倫理や規範」だと指摘。「倫理や規範の再生はわれわれ全員の仕事だ」とした。「夢を見ることを恐れてはいけない。『効率』や『便宜』という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはならない。われわれは力強い足取りで前に進んでいく『非現実的な夢想家』でなくてはならない」と締めくくった。(バルセロナ=共同)
*
この共同通信の記事は非常によく書けていて、こんなに短い記事のなかに、村上春樹のスピーチの骨格部分のほとんどが網羅されている。これに筋肉につけたものが以下に続く抜粋で、かれが言おうとしたことがもう少し生き生きと立ち上がるはずだ。しかし、これもスピーチの冒頭部をばっさり省略してあるので、お時間のあるかたはぜひ全文をお読みください。
以下に続く抜粋のあとにちょっとした感想を書いた。3月以来ずっと感じてきたことで、いままでにもブログで小出しにしてきたと思う(忘れた)が、わたしはこれがいやでいやでたまらなかった。
ひとことで言えば、「パニックしているくせにそれを受け入れられず、冷静なふりをしたオヤジ的な者たちの口から発せられた安っぽいヒロイズム」だ。そういうオヤジたちと同じ世代に属しながら、この村上春樹のスピーチにはそれがみじんもなく、また、自ら進んで政治的であろうとする態度に感銘を受けた。
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以下、毎日新聞のウェブサイトに掲載されている原稿全文から抜粋。全文は以下に記した毎日のウェブサイト、あるいはこちらに拾ってあります。
村上春樹:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿(抜粋)
毎日新聞 2011年6月10日 18時55分(最終更新 6月10日 19時09分)
(上) http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html
(下) http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040019000c.html
「非現実的な夢想家として」
(前半略)
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
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2011年05月16日
<緊急> いますぐ見よう!ETV特集「ネットワ−クで作る放射能汚染地図」
とりあえず、コピペ。見てから整理します。
***
見逃した方は 今のうちに!! NHK教育・ETV特集「ネットワ−クで作る放射能汚染地図」
2011-05-16 20:12:26 | 社会
NHKETV特集「ネットワ−クで作る放射能汚染地図」 動画90分YouTUbe7分割
01 http://bit.ly/jctIpa
02 http://bit.ly/mmSOXV
03 http://bit.ly/jwNV57
04 http://bit.ly/k7hFRm
05 http://bit.ly/lT1LRf
06 http://bit.ly/lyyajX
07 http://bit.ly/lzUAD4
分割無し希望ならveohのサイトに。
http://bit.ly/mjPY06
※そのままだと5分間のプレビューしか見れないので、5分のプレビュー動画を最後まで進ませて、出てくる画面のveoh web playerのダウンロード指示(英語)をクリック。veoh web playerの無料ダウンロード後に全編視聴可能。
・・・だということです。
-----------------
だけど、総合Chで再放送していただきたいものです。
NHK****(科学文化部)さんが、「リクエストして」とばかりにこんなツイートをしています。
「昨夜放送されたETV特集について、再放送のご希望は、こちらまでお願いします
http://bit.ly/a22EQK」
・・・ということです
***
見逃した方は 今のうちに!! NHK教育・ETV特集「ネットワ−クで作る放射能汚染地図」
2011-05-16 20:12:26 | 社会
NHKETV特集「ネットワ−クで作る放射能汚染地図」 動画90分YouTUbe7分割
01 http://bit.ly/jctIpa
02 http://bit.ly/mmSOXV
03 http://bit.ly/jwNV57
04 http://bit.ly/k7hFRm
05 http://bit.ly/lT1LRf
06 http://bit.ly/lyyajX
07 http://bit.ly/lzUAD4
分割無し希望ならveohのサイトに。
http://bit.ly/mjPY06
※そのままだと5分間のプレビューしか見れないので、5分のプレビュー動画を最後まで進ませて、出てくる画面のveoh web playerのダウンロード指示(英語)をクリック。veoh web playerの無料ダウンロード後に全編視聴可能。
・・・だということです。
-----------------
だけど、総合Chで再放送していただきたいものです。
NHK****(科学文化部)さんが、「リクエストして」とばかりにこんなツイートをしています。
「昨夜放送されたETV特集について、再放送のご希望は、こちらまでお願いします
http://bit.ly/a22EQK」
・・・ということです
2011年05月10日
「客観的であることは中立と同じではない]とアサンジは言う
ジュリアン・アサンジが平和と正義に貢献した人物に授与されるシドニー平和賞ゴールドメダルを受賞し、パディントンのフロントラインクラブで授与式が行われた。賞を受けるにあたってのアサンジのスピーチの一部が以下の記事中に引用されている。
この中のある一節、特に「客観的であることは中立であることと同じではない objectivity is not the same as neutrality」に強く共感する。対立するふたつの勢力に明らかな力(権力)の差があるとき、両者を同じもののように扱う中立的な態度は、その力の差を考慮しないという点で客観性を欠いている。小学1年の男児と横綱を同じ土俵で戦わせようとはだれも思わないのに、それとおなじような構造の戦いが、両論並記という「中立性を保持する編集の所作」を通して、あたかも横綱どうしの戦いのように扱われている。
ウィキリークスの日本におけるパートナーとなった朝日新聞が、客観的であるように見せかけながら、その実、著しく客観性を欠いた両論並記の悪癖から一日も早く脱却することを望む。
該当箇所:
“We are objective but we are not neutral. We are on the side of justice – objectivity is not the same as neutrality. We are objective about the facts, when it comes to recording and not distorting facts, but we are not neutral about what kind of world we would like to see. We would like to see a more just world and this means giving people access to the information that is the power behind justice. Without this free flow of information, an organised minority will always dominate the disorganised majority. That means most people cannot participate in power and until people can participate in power we will not have a just world.
*
ジュリアン・アサンジ、
フロントラインクラブにてシドニー平和賞を受ける
Julian Assange receives Sydney Peace Prize at Frontline
by Ryan Gallagher on May 10, 2011 7:16 PM | posted in the category Politics
http://www.frontlineclub.com/news/2011/05/julian-assange-receives-sydney-peace-prize-at-frontline.html
全文は色分け強調付きでここに置きました。
この中のある一節、特に「客観的であることは中立であることと同じではない objectivity is not the same as neutrality」に強く共感する。対立するふたつの勢力に明らかな力(権力)の差があるとき、両者を同じもののように扱う中立的な態度は、その力の差を考慮しないという点で客観性を欠いている。小学1年の男児と横綱を同じ土俵で戦わせようとはだれも思わないのに、それとおなじような構造の戦いが、両論並記という「中立性を保持する編集の所作」を通して、あたかも横綱どうしの戦いのように扱われている。
ウィキリークスの日本におけるパートナーとなった朝日新聞が、客観的であるように見せかけながら、その実、著しく客観性を欠いた両論並記の悪癖から一日も早く脱却することを望む。
該当箇所:
“We are objective but we are not neutral. We are on the side of justice – objectivity is not the same as neutrality. We are objective about the facts, when it comes to recording and not distorting facts, but we are not neutral about what kind of world we would like to see. We would like to see a more just world and this means giving people access to the information that is the power behind justice. Without this free flow of information, an organised minority will always dominate the disorganised majority. That means most people cannot participate in power and until people can participate in power we will not have a just world.
*
ジュリアン・アサンジ、
フロントラインクラブにてシドニー平和賞を受ける
Julian Assange receives Sydney Peace Prize at Frontline
by Ryan Gallagher on May 10, 2011 7:16 PM | posted in the category Politics
http://www.frontlineclub.com/news/2011/05/julian-assange-receives-sydney-peace-prize-at-frontline.html
全文は色分け強調付きでここに置きました。
ラベル:WikiLeaks
2011年05月06日
首相、浜岡原発全機停止を要請
最初に見つけた一報を、とりあえず投げ込みます。
Fri, 6 May 2011 19:36:26 +0900 (JST)
me;浜岡原発、全原子炉の運転停止要請…首相中電に
原浜岡発、全原子炉の運転停止要請…首相中電に
読売新聞 5月6日(金)19時13分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110506-00000711-yom-pol
菅首相は6日夜、首相官邸で記者会見し、稼働中の中部電力浜岡原子力発電所のすべての原子炉(静岡県御前崎市)について運転停止を中電に要請した、と発表した。
浜岡原発は、高い確率で発生が予想される東海地震の震源域に近いことから、防潮堤の設置など、地震や津波への中長期的な安全対策に万全を期す必要があると、判断した。
同原発は、1、2号機が運転終了しているほか、3号機が点検のため、運転を停止している。
*****
Fri, 6 May 2011 19:55:51 +0900 (JST)
me:毎日新聞でみる浜岡全機停止まで
浜岡全機停止までのニュースを毎日新聞ウェブ版から収集した。永田町や霞ヶ関の水面下でいろいろ動いていたみたいだ。「風知草」は毎日新聞の政治コラムで、執筆者の山田孝男氏は毎日新聞編集委員(役員)。政治コラムとのことで、おもに政治家と官僚と学者の意見を取り上げていて「市民の声はどこにもないじゃん(中電の本社前でおじいさんがハンストしていたとかいった話を聞いている)」ではあるが、首相決断のけっこうな追い風のひとつになったのではないか。
とりあえず止めて、次は廃止。
*
風知草:浜岡原発を止めよ=山田孝男
毎日新聞 2011年4月18日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/seiji/fuchisou/news/20110418ddm012070049000c.html
中部電力の浜岡原子力発電所を止めてもらいたい。安全基準の前提が崩れた以上、予見される危機を着実に制御する日本であるために。急ぎ足ながら三陸と福島を回り、帰京後、政府関係者に取材を試みて、筆者はそう考えるに至った。
福島に入った私の目を浜岡へ向かわせたのは佐藤栄佐久・前福島県知事(71)だった。郡山に佐藤を訪ねて「首都圏の繁栄の犠牲になったと思うか」と聞いたとき、前知事はそれには答えず、こう反問した。
「それよりネ、私どもが心配しているのは浜岡ですから。東海地方も、東京も、まだ地震が来てないでしょ?」
5期18年(5期目半ばで辞任後、収賄で逮捕・起訴。1、2審とも有罪で上告中)。国・東京電力との蜜月を経て原発批判に転じた佐藤が、恨み節を語る代わりに首都圏の油断を指摘してみせたのである。
浜岡原発は静岡県御前崎市にある。その危うさは反原発派の間では常識に属する。運転中の3基のうち二つは福島と同じ沸騰水型で海岸低地に立つ。それより何より、東海地震の予想震源域の真上にある。
「原発震災」なる言葉を生み出し、かねて警鐘を鳴らしてきた地震学者の石橋克彦神戸大名誉教授(66)は、月刊誌の最新号で、浜岡震災の帰結についてこう予測している。
「最悪の場合、(中略)放射能雲が首都圏に流れ、一千万人以上が避難しなければならない。日本は首都を喪失する」「在日米軍の横田・横須賀・厚木・座間などの基地も機能を失い、国際的に大きな軍事的不均衡が生じる……」(「世界」と「中央公論」の各5月号)
これが反原発派知識人の懸念にとどまらないことを筆者は先週、思い知った。旧知の政府関係者から「浜岡は止めなくちゃダメだ。新聞で書いてくれませんか」と声をかけられたのである。原発輸出を含む新成長戦略を打ち出した内閣のブレーンのひとりが、浜岡に限っては反原発派と不安を共有し、「原発を維持するためにこそ止めるべきなのに、聞く耳をもつ人間が少ない」と慨嘆した。
続きを読む
Fri, 6 May 2011 19:36:26 +0900 (JST)
me;浜岡原発、全原子炉の運転停止要請…首相中電に
原浜岡発、全原子炉の運転停止要請…首相中電に
読売新聞 5月6日(金)19時13分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110506-00000711-yom-pol
菅首相は6日夜、首相官邸で記者会見し、稼働中の中部電力浜岡原子力発電所のすべての原子炉(静岡県御前崎市)について運転停止を中電に要請した、と発表した。
浜岡原発は、高い確率で発生が予想される東海地震の震源域に近いことから、防潮堤の設置など、地震や津波への中長期的な安全対策に万全を期す必要があると、判断した。
同原発は、1、2号機が運転終了しているほか、3号機が点検のため、運転を停止している。
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Fri, 6 May 2011 19:55:51 +0900 (JST)
me:毎日新聞でみる浜岡全機停止まで
浜岡全機停止までのニュースを毎日新聞ウェブ版から収集した。永田町や霞ヶ関の水面下でいろいろ動いていたみたいだ。「風知草」は毎日新聞の政治コラムで、執筆者の山田孝男氏は毎日新聞編集委員(役員)。政治コラムとのことで、おもに政治家と官僚と学者の意見を取り上げていて「市民の声はどこにもないじゃん(中電の本社前でおじいさんがハンストしていたとかいった話を聞いている)」ではあるが、首相決断のけっこうな追い風のひとつになったのではないか。
とりあえず止めて、次は廃止。
*
風知草:浜岡原発を止めよ=山田孝男
毎日新聞 2011年4月18日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/seiji/fuchisou/news/20110418ddm012070049000c.html
中部電力の浜岡原子力発電所を止めてもらいたい。安全基準の前提が崩れた以上、予見される危機を着実に制御する日本であるために。急ぎ足ながら三陸と福島を回り、帰京後、政府関係者に取材を試みて、筆者はそう考えるに至った。
福島に入った私の目を浜岡へ向かわせたのは佐藤栄佐久・前福島県知事(71)だった。郡山に佐藤を訪ねて「首都圏の繁栄の犠牲になったと思うか」と聞いたとき、前知事はそれには答えず、こう反問した。
「それよりネ、私どもが心配しているのは浜岡ですから。東海地方も、東京も、まだ地震が来てないでしょ?」
5期18年(5期目半ばで辞任後、収賄で逮捕・起訴。1、2審とも有罪で上告中)。国・東京電力との蜜月を経て原発批判に転じた佐藤が、恨み節を語る代わりに首都圏の油断を指摘してみせたのである。
浜岡原発は静岡県御前崎市にある。その危うさは反原発派の間では常識に属する。運転中の3基のうち二つは福島と同じ沸騰水型で海岸低地に立つ。それより何より、東海地震の予想震源域の真上にある。
「原発震災」なる言葉を生み出し、かねて警鐘を鳴らしてきた地震学者の石橋克彦神戸大名誉教授(66)は、月刊誌の最新号で、浜岡震災の帰結についてこう予測している。
「最悪の場合、(中略)放射能雲が首都圏に流れ、一千万人以上が避難しなければならない。日本は首都を喪失する」「在日米軍の横田・横須賀・厚木・座間などの基地も機能を失い、国際的に大きな軍事的不均衡が生じる……」(「世界」と「中央公論」の各5月号)
これが反原発派知識人の懸念にとどまらないことを筆者は先週、思い知った。旧知の政府関係者から「浜岡は止めなくちゃダメだ。新聞で書いてくれませんか」と声をかけられたのである。原発輸出を含む新成長戦略を打ち出した内閣のブレーンのひとりが、浜岡に限っては反原発派と不安を共有し、「原発を維持するためにこそ止めるべきなのに、聞く耳をもつ人間が少ない」と慨嘆した。
続きを読む
2011年04月29日
<チェルノブイリ事故から10年> 終わりなき人体汚染
チェルノブイリ4号炉の爆発から10年目のその日に放送されたNHK制作のドキュメンタリー『終わりなき人体汚染』が、突然、NHKのオンデマンドから削除されたそうです。
いまから見ます。
------ Forwarded Message
Tさんのメール:
Date: Thu, 28 Apr 2011 11:07:38 +0900
Subject: NHKがオンデマンドを削除
チェルノブイリの10年後の深刻な被害を伝える特番ーーNHKがオンデマンドを削除
友人からのメールが届きました。
消されない今のうちに、YOUTUBEからダウンロードし確保して、
大いに広めましょう。 2011.4.28
記
----- Original Message -----
T2さんのメール:
Sent: Thursday, April 28, 2011 9:13 AM
Subject: Fw: Fw:転送します。 NHK が過去のチェルノ特番をオンデマンドから削除
福島の事故に対して「ただちに健康に被害を与えるものではない」「冷静な対応を」と繰り返す、現在のNHKの報道と、今から15年前の特番の内容が、矛盾しているという声がNHKに寄せられていた矢先だったそうです!!
ひどい!
現在は下記のユーチューブで見られますが、いつやめさせられるか判らないとの事。 YOUTUBEが無ければ闇に葬られるところでした。転送します。消されないうちにご覧ください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
チェルノブイリ10年後のNHK特番より
チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 1/4
http://www.youtube.com/watch?v=4GcOF4prndE&feature
チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 2/4
http://www.youtube.com/watch?v=wk-rOLrRnx8&feature
チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 3/4
http://www.youtube.com/watch?v=sqG0_3jlU-Y&feature
チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 4/4
http://www.youtube.com/watch?v=TPGlJpQN4Kc&feature
いまから見ます。
------ Forwarded Message
Tさんのメール:
Date: Thu, 28 Apr 2011 11:07:38 +0900
Subject: NHKがオンデマンドを削除
チェルノブイリの10年後の深刻な被害を伝える特番ーーNHKがオンデマンドを削除
友人からのメールが届きました。
消されない今のうちに、YOUTUBEからダウンロードし確保して、
大いに広めましょう。 2011.4.28
記
----- Original Message -----
T2さんのメール:
Sent: Thursday, April 28, 2011 9:13 AM
Subject: Fw: Fw:転送します。 NHK が過去のチェルノ特番をオンデマンドから削除
福島の事故に対して「ただちに健康に被害を与えるものではない」「冷静な対応を」と繰り返す、現在のNHKの報道と、今から15年前の特番の内容が、矛盾しているという声がNHKに寄せられていた矢先だったそうです!!
ひどい!
現在は下記のユーチューブで見られますが、いつやめさせられるか判らないとの事。 YOUTUBEが無ければ闇に葬られるところでした。転送します。消されないうちにご覧ください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
チェルノブイリ10年後のNHK特番より
チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 1/4
http://www.youtube.com/watch?v=4GcOF4prndE&feature
チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 2/4
http://www.youtube.com/watch?v=wk-rOLrRnx8&feature
チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 3/4
http://www.youtube.com/watch?v=sqG0_3jlU-Y&feature
チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 4/4
http://www.youtube.com/watch?v=TPGlJpQN4Kc&feature
2011年04月27日
東電・保安院の記者会見<40人の見えない外国人記者>
うわあ、ほんとうだったんだ。
まんま、モンティパイソン。
*
東電・保安院の記者会見 記者陣が誰もいなくてシュール
2011.04.27 14:15:45
http://getnews.jp/archives/113335
東京電力と原子力安全・保安院が行った外国人記者向けの会見が、とうとう誰もいない状況となってしまった。その模様は『ニコニコ生放送』でも配信されていたのだが、放送冒頭からシュールな映像が流され、見ている方も辛い光景。
それでも外国人記者がいないにも関わらず、30分間英語で説明する東京電力と原子力安全・保安院。その根性には感服するばかりだ。
国内向けは質問攻めで記者陣が押し寄せる場面もあった同会見。これが外国人向けになった途端にこうも反応が違うのはなぜだろうか。海外から日本の対応の悪さが批判されているが、その結果このような状況に。
会見の映像は『ニコニコ生放送』にてアーカイブされているので、現在も観ることができる。
画像:『ニコニコ生放送』より引用
The Briefing On Japan Quake -外国プレス へのブリーフィング-(ニコニコ生放送)
*
もういっちょ。
*
東電原発事故外国人記者向け会見が無視された日
〜共同会見開始とは偶然?
<日隅一雄>
東電原発事故に関する会見が、統合対策本部の主導で、本部、保安院、東電、文科省、原子力安全委員会の合同で行われ始めた25日昼、官邸で行われた外国人記者向けの会見に出席者が1人もいなかった。これは偶然の一致だろうか…。
自由報道協会 http://fpaj.jp/news/archives/2618
この合同記者会見が行われることが東電から発表された際、事前登録が必要とされたことから外国メディアには十分に周知したのかと尋ねたり、通訳は付けるのかと聞いたが、そのような配慮を払うそぶりは見せなかった。そればかりか、東電の広報担当者は、外国人記者クラブに加盟したり、外国記者登録証を持っていない外国メディアは拒否するということか、という私の質問に対し、回答を拒否した。そして、迎えた合同記者会見初日の昼、外国メディア向け会見に1人も参加しなかった。これは、偶然の一致なのか、それとも、抗議の表れなのか…。
いずれにせよ、日本の官邸での発表が外国メディアにとって取材する必要すら感じないほど、空疎なものになっていることは間違いない…。24分を回ったところで、「何か質問はありませんか?」と空席に向けて確認したうえ、「会見に来てくれてありがとう」と空席に向けて投げかける挨拶…。
本当に涙が出るよ…。
*
武田邦彦氏(中部大学)はこう言ってる。
*
外人は来ない保安院・東電の会見
http://takedanet.com/2011/04/post_3a50.html
外国の記者を相手にした保安院と東電の会見には、最近、記者1人、説明側10人ということが続いたが、4月25日、ついに誰も記者は来なかった。
無人の記者席に向かって、「誰もいないのに」説明をするという非人間的なことをする保安院の役人の姿が印象的だった。
海外では福島原発の事故についての関心は強い.関心が強いので、保安院や東電の記者会見に出ても、ウソを教えられるので、聞いても意味が無いのだ。
*
では映像を。
【転載】外国プレスへのブリーフィング(超ダイジェスト) 2011.04.25
*
ほんとは40人の記者が会場に隠れてるんじゃないの?
*
Monty Python - 正しい隠れ方(日本語字幕)
いまのタイミングだとラストのビジュアルが少々悪趣味かも。
怒らないで見てね。
ちなみに、ラストの大爆発4連発は、
マンチェスター、
ウエストミッドランド(イングランド中部地方)、
スペイン、
中国と解説されています。
シニカルになるぐらいなら
コミカルになろう。
まんま、モンティパイソン。
*
東電・保安院の記者会見 記者陣が誰もいなくてシュール
2011.04.27 14:15:45
http://getnews.jp/archives/113335
東京電力と原子力安全・保安院が行った外国人記者向けの会見が、とうとう誰もいない状況となってしまった。その模様は『ニコニコ生放送』でも配信されていたのだが、放送冒頭からシュールな映像が流され、見ている方も辛い光景。
それでも外国人記者がいないにも関わらず、30分間英語で説明する東京電力と原子力安全・保安院。その根性には感服するばかりだ。
国内向けは質問攻めで記者陣が押し寄せる場面もあった同会見。これが外国人向けになった途端にこうも反応が違うのはなぜだろうか。海外から日本の対応の悪さが批判されているが、その結果このような状況に。
会見の映像は『ニコニコ生放送』にてアーカイブされているので、現在も観ることができる。
画像:『ニコニコ生放送』より引用
The Briefing On Japan Quake -外国プレス へのブリーフィング-(ニコニコ生放送)
*
もういっちょ。
*
東電原発事故外国人記者向け会見が無視された日
〜共同会見開始とは偶然?
<日隅一雄>
東電原発事故に関する会見が、統合対策本部の主導で、本部、保安院、東電、文科省、原子力安全委員会の合同で行われ始めた25日昼、官邸で行われた外国人記者向けの会見に出席者が1人もいなかった。これは偶然の一致だろうか…。
自由報道協会 http://fpaj.jp/news/archives/2618
この合同記者会見が行われることが東電から発表された際、事前登録が必要とされたことから外国メディアには十分に周知したのかと尋ねたり、通訳は付けるのかと聞いたが、そのような配慮を払うそぶりは見せなかった。そればかりか、東電の広報担当者は、外国人記者クラブに加盟したり、外国記者登録証を持っていない外国メディアは拒否するということか、という私の質問に対し、回答を拒否した。そして、迎えた合同記者会見初日の昼、外国メディア向け会見に1人も参加しなかった。これは、偶然の一致なのか、それとも、抗議の表れなのか…。
いずれにせよ、日本の官邸での発表が外国メディアにとって取材する必要すら感じないほど、空疎なものになっていることは間違いない…。24分を回ったところで、「何か質問はありませんか?」と空席に向けて確認したうえ、「会見に来てくれてありがとう」と空席に向けて投げかける挨拶…。
本当に涙が出るよ…。
*
武田邦彦氏(中部大学)はこう言ってる。
*
外人は来ない保安院・東電の会見
http://takedanet.com/2011/04/post_3a50.html
外国の記者を相手にした保安院と東電の会見には、最近、記者1人、説明側10人ということが続いたが、4月25日、ついに誰も記者は来なかった。
無人の記者席に向かって、「誰もいないのに」説明をするという非人間的なことをする保安院の役人の姿が印象的だった。
海外では福島原発の事故についての関心は強い.関心が強いので、保安院や東電の記者会見に出ても、ウソを教えられるので、聞いても意味が無いのだ。
*
では映像を。
【転載】外国プレスへのブリーフィング(超ダイジェスト) 2011.04.25
*
ほんとは40人の記者が会場に隠れてるんじゃないの?
*
Monty Python - 正しい隠れ方(日本語字幕)
いまのタイミングだとラストのビジュアルが少々悪趣味かも。
怒らないで見てね。
ちなみに、ラストの大爆発4連発は、
マンチェスター、
ウエストミッドランド(イングランド中部地方)、
スペイン、
中国と解説されています。
シニカルになるぐらいなら
コミカルになろう。
ラベル:原発震災
2011年04月23日
「チェルノブイリ・ベイビー」から「福島の子どもたち」へ
以下に続く原稿を元にしたエッセイを4月25日付けでTUPから配信しました。前書きを書き加え、本文もあちこち手を入れましたので、そちらを読んでいただいたほうがよいかもしれません。重複部分が多いですが、両方読んでいただいても害はありませんし(笑)、この原稿にはいくつかコメントもついています。(nfsw19)
***** ***** ***** ***** ***** *****
2003年11月のはじめごろ、ブッシュ大統領のロンドン訪問にあわせた大規模反戦デモの前日のことだ。ロンドンの議会前広場での抗議行動中に、顔見知りの反戦活動家がひとりの青年を紹介してくれた。「反核活動家のイアンだ」。
イアンと呼ばれた背の高い青年は人なつこい笑顔で握手を求めながら、「日本人だって?」と話しかけてきた。ジャーナリストの森住卓さんが撮影したイラクの子どもたちの写真展示を通して、イラク戦争と劣化ウラン兵器に反対する活動を行っているとわたしが自己紹介すると、イアンは、劣化ウラン兵器によって発生した放射性物質でイラクの人々、とりわけ子どもたちがひどく苦しめられていることを知っていると言った。
そして、日本の人はヒロシマの経験があるから放射能の悪影響に敏感だねと続け、「放射能がどんなにひどいことをするか、ぼくもよく知ってるよ」と言いながら、かぶっていたキャップをとった。
<チェルノブイリの子どもたち>から
<フクシマの子どもたち>へ
イアンの頭は、火傷を負ったばかりように広い範囲にあちこち赤剥けていて、実際には乾いていたのかもしれないが、濡れたようにてらてらしていた。そして、そのただれた赤い皮膚のあいだに、金色か薄い茶色の髪の束が少しずつ、ここが頭であることの申しわけのように生え残っていた。赤剥けた皮膚は頭から首筋のほうへ、その下へずっと続いているようだった。
「どうしたの?」と尋ねると、「チェルノブイリの灰をかぶったんだ」と答え、外したときと同じぐらい素早く帽子をかぶってしまった。
チェルノブイリ原子力発電所の4号炉が爆発した翌日、まだその爆発が隠蔽されていた4月27日日曜日の昼間、イアンは自宅の近所の海岸にいた。「ビーチで遊んでいたんだ」。ひとりではなく、友達か家族といっしょで、他にも大勢の人がいたらしい。「なにしろいい天気だったそうだから、その日は」
放射性物質の付着したホコリや灰が北西の風にのってイギリスの東海岸まで到達し、雨粒とともに地上に降り注いだ結果、放牧されていた羊が放射能に汚染された牧草を食べて被ばくし、食用に適さなくなったといった話は聞いていた。しかし、チェルノブイリの灰で被ばくした人に遭うのはイアンが初めてだった。放射性物質を直にかぶっただけでなく、海で泳ぎもしていたので口から体内にも取り入れた可能性があり、その影響か、ひどく体が弱いという。
スウェーデンの原子力発電所にある放射線管理区域外の敷地で、そこにあるはずのない放射性物質が検出されて放射能漏れが疑われたのは、イアンが海岸で遊んでいた翌日だ。世界をかけめぐった最初の報道では、放射能漏れをおこしたのは放射性物質の見つかった当の原子力発電所だとされていたが、やがて、どうやら出所はソ連圏だということになり、同じ日の夜(欧州時間)になって、ソ連の通信社がチェルノブイリ原子力発電所(現ウクライナ共和国)での2日前の大爆発を報じた。
その大爆発を知っていたら、どんなに天気が良くても子どもを海岸になどやらなかったろうに、外でなど遊ばせなかったろうにと、イアンの母親は悔やんでも悔やみきれず、何度も泣いたろう。
*
福島第一原発の事故からまもなく、ロイターが報じた「チェルノブイリ・ベイビー」の証言に登場するのは、イアンよりさらに若い世代の女の子だ。イアンが長男とすれば、ここに登場するナスターシャはその妹にあたり、チェルノブイリで爆発が起きたときはまだ生まれていなかった。それどころか胎児でさえなく、まだ母親の体の中の卵子のひとつに過ぎなかった。
***** ***** ***** ***** ***** *****
「チェルノブイリ・ベイビー」の証言:
放射性物質が降った土地に生きるということ
'Chernobyl Baby' Explains Life In A Fallout Zone
***** ***** ***** ***** ***** *****
2011年3月17日ロイター
http://www.huffingtonpost.com/2011/03/17/chernobyl-japan-nuclear-crisis_n_837213.html
ナスターシャ・アストラシェウスカヤは2010年12月、特派員としてロイターの一員になった。彼女は1989年8月31日、ベラルーシのモギリョフで生まれた。500キロ離れたウクライナのチェルノブイリで起きた原子力大事故の3年後だった。
***** ***** ***** ***** ***** *****
ナスターシャ・アストラシェウスカヤの証言
***** ***** ***** ***** ***** *****
モスクワ(ロイター)――チェルノブイリが爆発したとき、私はまだ生まれてもいませんでした。にもかかわらず、私の子ども時代は命にかかわる負の遺産につきまとわれていました。
同じ学校の女の子の一人は片手の指が6本ありました。 私の甲状腺はいつも肥大していますし、私も家族もずっとガンを恐れていくことになるでしょう。
津波に襲われた福島原子炉の暗い影の中で生活し、この先の影響を心配されている日本の方々が、そんな運命にならないようにと願っています。
私は1989年8月31日、チェルノブイリから500キロ離れたベラルーシのモギリョフで生まれました。モギリョフは、1986年4月に起きたウクライナのチェルノブイリ原発の火事の後、ベラルーシに向かって飛ばされた放射性の雲の中心にありました。
私は(その時)起きたことを直接経験していませんが、両親がその話をするのを何度も聞きました。
そのスモッグが何日も漂っていたとき、何が起きていたか、両親は知りませんでした。公の説明は何もありませんでした。テレビでもラジオでも、役人の口からも一言もありませんでした。
本当のことを知っていた人たちは、自分の子どもに家の中にいるように指示しました。でも一般人のあいだにパニックを起こしたくなかった。一般人は自分の吸っている空気がどんなものかすら気づかずに、汚染された通りを歩いていました。
チェルノブイリの爆発が隠しおおせるものではないとソ連政府が悟るまでに数日かかりました。大量の放射性物質が放出されたと外の世界では知っていたのに。
危険に気づくと、両親はすぐ決断しなくてはなりませ んでした。母と兄はモスクワへ行くことにしました。モギリョフより放射能の影響が少なかったのです。
父はモギリョフに残って仕事を続けることにしまし た。
息をするのも危険でしたが、家族にはお金が要りました。
「あなたのお兄ちゃんはそのとき五歳だった」と母は話してくれました。「連れ出さなくてはならなかったの」
荷物の支度をしてモスクワに向かい、母方の伯父の家に滞在しました。「五カ月いたの」と母は言いました。「でもすぐには何も変わらないとわかって、お父さんのところに戻ったの」
出生率低下
***** ***** ***** *****
移住するのは無理だったんです。
私はその3年後に生まれました。
出生率は急激に下がり始めていました。事故のあとに生まれた赤ちゃんにいろいろな異常があって、みんな子どもを持とうとしなくなったんです。私と一緒に学校に行っていた女の子は腕に異常がありました。
こわかったけれど、慣れました。
事故のあと、ベラルーシで暮らしていたほとんどの人がそうでしたが、私の甲状腺はふつうよりずっと肥大していました。いつも甲状腺ガンになるのを恐れて暮らしていました。
ベラルーシはチェルノブイリから出た放射性降下物でもっとも汚染された国で、汚染が完全に取り除かれた地域はまだほとんどありません。
水のせいで歯が悪くなりました。放射能レベルが他より低い場所があって、きのこやベリーを摘むことができました。
広大な森の地域が鉄条網で立ち入り禁止にされていて、 「放射能危険」という黄色の標識があちこちにあったのを覚えています。
私の世代の、特にウクライナとの国境に近い地域に住む人は、「チェルノブイリの子どもたち」として知られるようになりました。
気の毒に思った外国の人たちが団体を創設して、汚染地域の子どもの健康状態が改善するように手助けしてくれました
毎夏何週間か、歯の治療を受けたり、健康にいい食べ 物を食べたり、新鮮な空気で肺をきれいにしたりできるよう、ベラルーシから欧米に連れて行ってもらいました。
今日、爆発からほぼ25年経って生まれる子どもも、やはり脅かされています。その子どもも孫もです。放射能はそんなにすぐには消えないからです。
子どものころに放射能にさらされたので、その影響はずっと体に残るし、子どもがどこで生まれても、たぶんその子にも伝わるとわかっています。
でも今できることは何もありません。立ち入り禁止の森や野原に入らないようにするだけです。(ロバート・ウッドワード編集)
[翻訳:荒井雅子(TUP)]
***** ***** ***** ***** ***** *****
もう一度、イアンの話をしよう。イアンは反核活動家として、核兵器に反対する行動だけでなく、核再処理施設や原子力発電所での抗議行動にも参加してきたそうだ。
施設の前で抗議行動をしていると警備員が出てくるだろう。そうすると帽子を取って頭を見せてやるんだ。これが放射能のやったことだって。
イアンには核に反対するだれにも負けない動機がある。
*
かれの話を聞いて考えた。
日本人はしばしば「日本は唯一の被ばく国だ」と言う。実際には、核実験場をはじめ世界の至るところに被ばく地はあるが、とりあえずその点はおいておくとして。「唯一の被ばく国である日本は核兵器の使用にも所持にも反対である」と言うが、そこで問題にされる「日本の被ばく」とは、どうやら「爆発」を伴う兵器による直接的な被ばく、わけても「体外被曝」にほぼ限るようだ。
原爆の破壊力は確かに凄まじい。中規模の二つの地方都市が一瞬にして死体と瓦礫の山に変わった。爆発を生き残った人の多くも、爆発によって放出された放射能によって急性放射線障害を負い、数日から数ヶ月を苦しみ抜いて亡くなった。これらの被害は原爆の空間的な破壊力と定義することができるだろう。
核兵器の必要性を説く人たちが問題にするのも、核兵器のこの空間的破壊力だ。一瞬で大量の破壊をもたらすことによって敵に脅威を与え、それ以上の戦争の継続を断念させる効果があると。そして、この恐怖感を互いに煽ることで、冷戦は不思議に均衡していた。
*
しかし、原爆の恐ろしさの本質は、実は空間的なものより時間的な破壊力にある。
原爆投下の翌日、数日後、1週間後、けが人の救助や家族を捜して広島や長崎の市内に入った人々が、急性放射線障害と同じ症状でばたばたと亡くなった。これはいまでは内部被ばくが原因とされている。
また、原爆を生き延びた人や残留放射能によって被ばくした人々は、数年後、数十年後に、複合的なガンに冒されることがしばしばある。ガンにならないまでも、疲れやすくて集中力が続かないなど重度の倦怠感が原因で仕事に就けなかったり、一見怠けているようにしか見えないことから「ブラブラ病」などと揶揄され、苦しい生涯を送った人も多いと聞く。
仮に被ばくした本人は比較的健康に人生を全うすることができたとしても、次の世代、また次の世代に身体的な異状が現れることもある。そして、この情報が歪められて広がった結果、心ない差別に苦しめられてさえいる。ガンを患った子どもや孫が、自分より先に死ぬ不幸にもしばしば立ち会う。
こうした原爆の時間的な破壊力に注目すると、爆発を伴うかどうかよりも、放射能の拡散こそが問題だと気づく。
放射性物質がいったん環境に放出されてしまえば、その物質が放射能を出し切って別の無害な物資に変わるまで、時には何万年も何十万年も放射線を出し続け、そのあいだずっと危険は去らない。放射能は閉じ込めておくべきものという視点に立てば、放射能を閉じ込める器が核兵器の形をしているかどうかは、二次的な意味しかもたなくなる。
*
イアンがそうであるように、世界の反核活動家はしばしば原子力発電(核発電)にも反対の立場にたつ。チェルノブイリ原子力発電所の爆発以降、その傾向は顕著で、「NO NUKES」と言えば、それは核兵器と核発電の両方に反対する意見表明になる。
しかし、日本では、反核兵器団体が原子力発電に反対する姿を見ることはない。完全に分業化されている。核兵器だけに反倒する団体が、世代交代に失敗しながら年老いていくあいだに、50を超える原子炉が地震列島の上に並んでしまった。
核兵器と原子炉が同じものでないように、核兵器の使用と原子力発電所の事故は同じものではないとの主張は、大量の放射能の環境への放出という点からみれば、あまり有効なようにはみえない。
「日本は唯一の被ばく国である」という被害者視点のお題目が、フクシマ以降も有効かどうかわたしにはわからない。
ただ、数十年前に爆発してしまった核爆弾の被害を防ぐことはできないが、いま日本の核施設から拡散される放射性物質によって被ばくする被害者の数を、出来る限り低く抑えることは可能だ。
福島の子どもたちに対して文部科学省が出した「児童の放射線許容量を年間20ミリシーベルトとする安全基準」を、いますぐ変更前の基準に戻すべきだ。そして、そのような高レベルの基準にしなければ外遊びもままならないような地域の子どもたちは、学校まるごと疎開させたらいい。
少子化によって教室の余っている学校は全国に山ほどあるはずだ。それらの教室に担任ごと子どもたちを疎開させればいいのではないか。クラスメイトや兄弟姉妹が同じ地域にいるなら子どもたちもそれほど寂しさを感じなくてすむだろう。
いまの緊急事態が収束し、放射性物質の除去が行われるまでの1年か2年の措置であるし、子どもたちは同じ学校に通う子どものある家にホームステイさせてもらったらどうだろう。何か支援したいけれどどうしたらいいかわからない、子どもの世話をする支援ならやってみたい、力になりたいと申し出る人は多いと思う。
教室の整備や子どもの移動にかかる費用は税金をあててもらっていいのではないか。また、ホームステイ先にも食費などの補填があるともっといいと思う。
子どもたちが安全なところで暮らしているとわかっていれば、被災地に残る親たちも安心して生活の建て直しに集中できるだろう。被災した子どもたちが教室にいれば、わたしたちも福島の被害を身近に感じ続けていられるはずだ。
*
福島第一原発の事故がチェルノブイリと同じレベル7に引き上げられた日、BBC24のニューススタジオでキャスターがふたりの専門家に話を聞いていた。
ひとりの専門家が「これは日本が隠し事をやめるという意思表示でしょう。共産圏じゃないんですから、もっと情報をオープンにして解決策を広く求めるようになるのでは」といった内容の楽観的な展望を述べると、もう一方の専門家は別の立場から意見を述べた。「レベル7になったということで、避難地域が拡大されるはずですが、共産圏じゃないので強制移住というわけにもいかず、いっそう混乱するかもしれません」と。
政府が子どもの疎開を決断すれば、福島の人たちは不満と述べながらもほっとするのではないだろうか。たいへんなのはわかっているが、いま限られた時間を心配するほうが、将来にわたって心配し続けるよりずっといいはずだ。
「フクシマの子どもたち」と呼ばれる世代を作り出してはならないと、「チェルノブイリの子どもたち」が身をもって教えてくれている。
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2003年11月のはじめごろ、ブッシュ大統領のロンドン訪問にあわせた大規模反戦デモの前日のことだ。ロンドンの議会前広場での抗議行動中に、顔見知りの反戦活動家がひとりの青年を紹介してくれた。「反核活動家のイアンだ」。
イアンと呼ばれた背の高い青年は人なつこい笑顔で握手を求めながら、「日本人だって?」と話しかけてきた。ジャーナリストの森住卓さんが撮影したイラクの子どもたちの写真展示を通して、イラク戦争と劣化ウラン兵器に反対する活動を行っているとわたしが自己紹介すると、イアンは、劣化ウラン兵器によって発生した放射性物質でイラクの人々、とりわけ子どもたちがひどく苦しめられていることを知っていると言った。
そして、日本の人はヒロシマの経験があるから放射能の悪影響に敏感だねと続け、「放射能がどんなにひどいことをするか、ぼくもよく知ってるよ」と言いながら、かぶっていたキャップをとった。
<チェルノブイリの子どもたち>から
<フクシマの子どもたち>へ
イアンの頭は、火傷を負ったばかりように広い範囲にあちこち赤剥けていて、実際には乾いていたのかもしれないが、濡れたようにてらてらしていた。そして、そのただれた赤い皮膚のあいだに、金色か薄い茶色の髪の束が少しずつ、ここが頭であることの申しわけのように生え残っていた。赤剥けた皮膚は頭から首筋のほうへ、その下へずっと続いているようだった。
「どうしたの?」と尋ねると、「チェルノブイリの灰をかぶったんだ」と答え、外したときと同じぐらい素早く帽子をかぶってしまった。
チェルノブイリ原子力発電所の4号炉が爆発した翌日、まだその爆発が隠蔽されていた4月27日日曜日の昼間、イアンは自宅の近所の海岸にいた。「ビーチで遊んでいたんだ」。ひとりではなく、友達か家族といっしょで、他にも大勢の人がいたらしい。「なにしろいい天気だったそうだから、その日は」
放射性物質の付着したホコリや灰が北西の風にのってイギリスの東海岸まで到達し、雨粒とともに地上に降り注いだ結果、放牧されていた羊が放射能に汚染された牧草を食べて被ばくし、食用に適さなくなったといった話は聞いていた。しかし、チェルノブイリの灰で被ばくした人に遭うのはイアンが初めてだった。放射性物質を直にかぶっただけでなく、海で泳ぎもしていたので口から体内にも取り入れた可能性があり、その影響か、ひどく体が弱いという。
スウェーデンの原子力発電所にある放射線管理区域外の敷地で、そこにあるはずのない放射性物質が検出されて放射能漏れが疑われたのは、イアンが海岸で遊んでいた翌日だ。世界をかけめぐった最初の報道では、放射能漏れをおこしたのは放射性物質の見つかった当の原子力発電所だとされていたが、やがて、どうやら出所はソ連圏だということになり、同じ日の夜(欧州時間)になって、ソ連の通信社がチェルノブイリ原子力発電所(現ウクライナ共和国)での2日前の大爆発を報じた。
その大爆発を知っていたら、どんなに天気が良くても子どもを海岸になどやらなかったろうに、外でなど遊ばせなかったろうにと、イアンの母親は悔やんでも悔やみきれず、何度も泣いたろう。
*
福島第一原発の事故からまもなく、ロイターが報じた「チェルノブイリ・ベイビー」の証言に登場するのは、イアンよりさらに若い世代の女の子だ。イアンが長男とすれば、ここに登場するナスターシャはその妹にあたり、チェルノブイリで爆発が起きたときはまだ生まれていなかった。それどころか胎児でさえなく、まだ母親の体の中の卵子のひとつに過ぎなかった。
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「チェルノブイリ・ベイビー」の証言:
放射性物質が降った土地に生きるということ
'Chernobyl Baby' Explains Life In A Fallout Zone
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2011年3月17日ロイター
http://www.huffingtonpost.com/2011/03/17/chernobyl-japan-nuclear-crisis_n_837213.html
ナスターシャ・アストラシェウスカヤは2010年12月、特派員としてロイターの一員になった。彼女は1989年8月31日、ベラルーシのモギリョフで生まれた。500キロ離れたウクライナのチェルノブイリで起きた原子力大事故の3年後だった。
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ナスターシャ・アストラシェウスカヤの証言
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モスクワ(ロイター)――チェルノブイリが爆発したとき、私はまだ生まれてもいませんでした。にもかかわらず、私の子ども時代は命にかかわる負の遺産につきまとわれていました。
同じ学校の女の子の一人は片手の指が6本ありました。 私の甲状腺はいつも肥大していますし、私も家族もずっとガンを恐れていくことになるでしょう。
津波に襲われた福島原子炉の暗い影の中で生活し、この先の影響を心配されている日本の方々が、そんな運命にならないようにと願っています。
私は1989年8月31日、チェルノブイリから500キロ離れたベラルーシのモギリョフで生まれました。モギリョフは、1986年4月に起きたウクライナのチェルノブイリ原発の火事の後、ベラルーシに向かって飛ばされた放射性の雲の中心にありました。
私は(その時)起きたことを直接経験していませんが、両親がその話をするのを何度も聞きました。
そのスモッグが何日も漂っていたとき、何が起きていたか、両親は知りませんでした。公の説明は何もありませんでした。テレビでもラジオでも、役人の口からも一言もありませんでした。
本当のことを知っていた人たちは、自分の子どもに家の中にいるように指示しました。でも一般人のあいだにパニックを起こしたくなかった。一般人は自分の吸っている空気がどんなものかすら気づかずに、汚染された通りを歩いていました。
チェルノブイリの爆発が隠しおおせるものではないとソ連政府が悟るまでに数日かかりました。大量の放射性物質が放出されたと外の世界では知っていたのに。
危険に気づくと、両親はすぐ決断しなくてはなりませ んでした。母と兄はモスクワへ行くことにしました。モギリョフより放射能の影響が少なかったのです。
父はモギリョフに残って仕事を続けることにしまし た。
息をするのも危険でしたが、家族にはお金が要りました。
「あなたのお兄ちゃんはそのとき五歳だった」と母は話してくれました。「連れ出さなくてはならなかったの」
荷物の支度をしてモスクワに向かい、母方の伯父の家に滞在しました。「五カ月いたの」と母は言いました。「でもすぐには何も変わらないとわかって、お父さんのところに戻ったの」
出生率低下
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移住するのは無理だったんです。
私はその3年後に生まれました。
出生率は急激に下がり始めていました。事故のあとに生まれた赤ちゃんにいろいろな異常があって、みんな子どもを持とうとしなくなったんです。私と一緒に学校に行っていた女の子は腕に異常がありました。
こわかったけれど、慣れました。
事故のあと、ベラルーシで暮らしていたほとんどの人がそうでしたが、私の甲状腺はふつうよりずっと肥大していました。いつも甲状腺ガンになるのを恐れて暮らしていました。
ベラルーシはチェルノブイリから出た放射性降下物でもっとも汚染された国で、汚染が完全に取り除かれた地域はまだほとんどありません。
水のせいで歯が悪くなりました。放射能レベルが他より低い場所があって、きのこやベリーを摘むことができました。
広大な森の地域が鉄条網で立ち入り禁止にされていて、 「放射能危険」という黄色の標識があちこちにあったのを覚えています。
私の世代の、特にウクライナとの国境に近い地域に住む人は、「チェルノブイリの子どもたち」として知られるようになりました。
気の毒に思った外国の人たちが団体を創設して、汚染地域の子どもの健康状態が改善するように手助けしてくれました
毎夏何週間か、歯の治療を受けたり、健康にいい食べ 物を食べたり、新鮮な空気で肺をきれいにしたりできるよう、ベラルーシから欧米に連れて行ってもらいました。
今日、爆発からほぼ25年経って生まれる子どもも、やはり脅かされています。その子どもも孫もです。放射能はそんなにすぐには消えないからです。
子どものころに放射能にさらされたので、その影響はずっと体に残るし、子どもがどこで生まれても、たぶんその子にも伝わるとわかっています。
でも今できることは何もありません。立ち入り禁止の森や野原に入らないようにするだけです。(ロバート・ウッドワード編集)
[翻訳:荒井雅子(TUP)]
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もう一度、イアンの話をしよう。イアンは反核活動家として、核兵器に反対する行動だけでなく、核再処理施設や原子力発電所での抗議行動にも参加してきたそうだ。
施設の前で抗議行動をしていると警備員が出てくるだろう。そうすると帽子を取って頭を見せてやるんだ。これが放射能のやったことだって。
イアンには核に反対するだれにも負けない動機がある。
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かれの話を聞いて考えた。
日本人はしばしば「日本は唯一の被ばく国だ」と言う。実際には、核実験場をはじめ世界の至るところに被ばく地はあるが、とりあえずその点はおいておくとして。「唯一の被ばく国である日本は核兵器の使用にも所持にも反対である」と言うが、そこで問題にされる「日本の被ばく」とは、どうやら「爆発」を伴う兵器による直接的な被ばく、わけても「体外被曝」にほぼ限るようだ。
原爆の破壊力は確かに凄まじい。中規模の二つの地方都市が一瞬にして死体と瓦礫の山に変わった。爆発を生き残った人の多くも、爆発によって放出された放射能によって急性放射線障害を負い、数日から数ヶ月を苦しみ抜いて亡くなった。これらの被害は原爆の空間的な破壊力と定義することができるだろう。
核兵器の必要性を説く人たちが問題にするのも、核兵器のこの空間的破壊力だ。一瞬で大量の破壊をもたらすことによって敵に脅威を与え、それ以上の戦争の継続を断念させる効果があると。そして、この恐怖感を互いに煽ることで、冷戦は不思議に均衡していた。
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しかし、原爆の恐ろしさの本質は、実は空間的なものより時間的な破壊力にある。
原爆投下の翌日、数日後、1週間後、けが人の救助や家族を捜して広島や長崎の市内に入った人々が、急性放射線障害と同じ症状でばたばたと亡くなった。これはいまでは内部被ばくが原因とされている。
また、原爆を生き延びた人や残留放射能によって被ばくした人々は、数年後、数十年後に、複合的なガンに冒されることがしばしばある。ガンにならないまでも、疲れやすくて集中力が続かないなど重度の倦怠感が原因で仕事に就けなかったり、一見怠けているようにしか見えないことから「ブラブラ病」などと揶揄され、苦しい生涯を送った人も多いと聞く。
仮に被ばくした本人は比較的健康に人生を全うすることができたとしても、次の世代、また次の世代に身体的な異状が現れることもある。そして、この情報が歪められて広がった結果、心ない差別に苦しめられてさえいる。ガンを患った子どもや孫が、自分より先に死ぬ不幸にもしばしば立ち会う。
こうした原爆の時間的な破壊力に注目すると、爆発を伴うかどうかよりも、放射能の拡散こそが問題だと気づく。
放射性物質がいったん環境に放出されてしまえば、その物質が放射能を出し切って別の無害な物資に変わるまで、時には何万年も何十万年も放射線を出し続け、そのあいだずっと危険は去らない。放射能は閉じ込めておくべきものという視点に立てば、放射能を閉じ込める器が核兵器の形をしているかどうかは、二次的な意味しかもたなくなる。
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イアンがそうであるように、世界の反核活動家はしばしば原子力発電(核発電)にも反対の立場にたつ。チェルノブイリ原子力発電所の爆発以降、その傾向は顕著で、「NO NUKES」と言えば、それは核兵器と核発電の両方に反対する意見表明になる。
しかし、日本では、反核兵器団体が原子力発電に反対する姿を見ることはない。完全に分業化されている。核兵器だけに反倒する団体が、世代交代に失敗しながら年老いていくあいだに、50を超える原子炉が地震列島の上に並んでしまった。
核兵器と原子炉が同じものでないように、核兵器の使用と原子力発電所の事故は同じものではないとの主張は、大量の放射能の環境への放出という点からみれば、あまり有効なようにはみえない。
「日本は唯一の被ばく国である」という被害者視点のお題目が、フクシマ以降も有効かどうかわたしにはわからない。
ただ、数十年前に爆発してしまった核爆弾の被害を防ぐことはできないが、いま日本の核施設から拡散される放射性物質によって被ばくする被害者の数を、出来る限り低く抑えることは可能だ。
福島の子どもたちに対して文部科学省が出した「児童の放射線許容量を年間20ミリシーベルトとする安全基準」を、いますぐ変更前の基準に戻すべきだ。そして、そのような高レベルの基準にしなければ外遊びもままならないような地域の子どもたちは、学校まるごと疎開させたらいい。
少子化によって教室の余っている学校は全国に山ほどあるはずだ。それらの教室に担任ごと子どもたちを疎開させればいいのではないか。クラスメイトや兄弟姉妹が同じ地域にいるなら子どもたちもそれほど寂しさを感じなくてすむだろう。
いまの緊急事態が収束し、放射性物質の除去が行われるまでの1年か2年の措置であるし、子どもたちは同じ学校に通う子どものある家にホームステイさせてもらったらどうだろう。何か支援したいけれどどうしたらいいかわからない、子どもの世話をする支援ならやってみたい、力になりたいと申し出る人は多いと思う。
教室の整備や子どもの移動にかかる費用は税金をあててもらっていいのではないか。また、ホームステイ先にも食費などの補填があるともっといいと思う。
子どもたちが安全なところで暮らしているとわかっていれば、被災地に残る親たちも安心して生活の建て直しに集中できるだろう。被災した子どもたちが教室にいれば、わたしたちも福島の被害を身近に感じ続けていられるはずだ。
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福島第一原発の事故がチェルノブイリと同じレベル7に引き上げられた日、BBC24のニューススタジオでキャスターがふたりの専門家に話を聞いていた。
ひとりの専門家が「これは日本が隠し事をやめるという意思表示でしょう。共産圏じゃないんですから、もっと情報をオープンにして解決策を広く求めるようになるのでは」といった内容の楽観的な展望を述べると、もう一方の専門家は別の立場から意見を述べた。「レベル7になったということで、避難地域が拡大されるはずですが、共産圏じゃないので強制移住というわけにもいかず、いっそう混乱するかもしれません」と。
政府が子どもの疎開を決断すれば、福島の人たちは不満と述べながらもほっとするのではないだろうか。たいへんなのはわかっているが、いま限られた時間を心配するほうが、将来にわたって心配し続けるよりずっといいはずだ。
「フクシマの子どもたち」と呼ばれる世代を作り出してはならないと、「チェルノブイリの子どもたち」が身をもって教えてくれている。
2011年04月12日
未必の故意による犯罪ではないのか
[共同通信の記事より抜粋/全文は末尾に]
原子力安全委員会の代谷誠治委員は12日、(略)3月23日の時点でレベル7に相当する危険性があると認識していたが、これまでに暫定評価の見直しを保安院に求めなかったことを明らかにした。代谷委員は記者会見で「尺度評価は保安院の役割だ(略)」とし、原子力安全委は関与しないとの姿勢を強調。(略)早期にレベル7として市民に注意を促す必要性について代谷委員は「いろいろな考え方がある」と述べるにとどめた。原子力安全委は、ヨウ素換算で63万テラベクレル(テラは1兆)の放射性物質が放出されたと推定。4月5日ごろには同程度の値を推定していたが(略)公表を見送っていたという。
「レベル7に達しているかもしれない」と最初に気づいた3月23日に公表していれば20日間分少なかった。具体的な放射能値の推定が出た4月7日に公表していれば5日間少なかった。
「安全です」「直ちに影響ありません」と言われ続けて、被災者は、放射性物質で汚染された空間にこれだけ余分に居続けることになった。幼児もいた。妊婦もいた。中学生も高校生も若い男女もいた。
これは犯罪ではないのか。
未必の故意ではないのか。
結果を推測しつつ黙っていたら、未必の故意が成立するのではないか。
福島第一の原発事故は、4月12日に「レベル7」になったわけではない。
事故発生後まもなく「レベル7」になっていて、
すっとそうだったと4月12日に認めただけだ。
そんなこと、知ってたよ。
そうでなきゃ、フランスもイギリスもアメリカも
自国民を退避させたりしないもの。
(危機管理はワーストケース・シナリオの把握からが原則)
知ってたからあせっていたんじゃないか。
言っても信じてくれないし。
*
[この項に収録した媒体記事]
原子力安全委がレベル7相当認識 保安委に見直し求めず
2011/04/12 22:08 【共同通信】
福島事故 最悪のレベル7
2011年4月12日 13時36分 東京新聞
続きを読む
原子力安全委員会の代谷誠治委員は12日、(略)3月23日の時点でレベル7に相当する危険性があると認識していたが、これまでに暫定評価の見直しを保安院に求めなかったことを明らかにした。代谷委員は記者会見で「尺度評価は保安院の役割だ(略)」とし、原子力安全委は関与しないとの姿勢を強調。(略)早期にレベル7として市民に注意を促す必要性について代谷委員は「いろいろな考え方がある」と述べるにとどめた。原子力安全委は、ヨウ素換算で63万テラベクレル(テラは1兆)の放射性物質が放出されたと推定。4月5日ごろには同程度の値を推定していたが(略)公表を見送っていたという。
「レベル7に達しているかもしれない」と最初に気づいた3月23日に公表していれば20日間分少なかった。具体的な放射能値の推定が出た4月7日に公表していれば5日間少なかった。
「安全です」「直ちに影響ありません」と言われ続けて、被災者は、放射性物質で汚染された空間にこれだけ余分に居続けることになった。幼児もいた。妊婦もいた。中学生も高校生も若い男女もいた。
これは犯罪ではないのか。
未必の故意ではないのか。
結果を推測しつつ黙っていたら、未必の故意が成立するのではないか。
福島第一の原発事故は、4月12日に「レベル7」になったわけではない。
事故発生後まもなく「レベル7」になっていて、
すっとそうだったと4月12日に認めただけだ。
そんなこと、知ってたよ。
そうでなきゃ、フランスもイギリスもアメリカも
自国民を退避させたりしないもの。
(危機管理はワーストケース・シナリオの把握からが原則)
知ってたからあせっていたんじゃないか。
言っても信じてくれないし。
*
[この項に収録した媒体記事]
原子力安全委がレベル7相当認識 保安委に見直し求めず
2011/04/12 22:08 【共同通信】
福島事故 最悪のレベル7
2011年4月12日 13時36分 東京新聞
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ラベル:原発災害

