古い記事ですが、新しくアップするのでしばらくこのあたりに置いておきます。
<死刑廃止論者は、身内が殺人事件の被害者になると
いとも簡単に死刑賛成論者に変身するのですか?>
いままで死刑に反対していた人が、身内に殺人の被害者が出てから死刑存置擁護に意見を変えたということですよね? それは当然/自然の感情として理解できます。むしろ多くの人がそうなると思いますよ。
なかには薬殺だの銃殺だの絞首刑だのでは足りない、もっと残酷な刑罰をと望む人も出てくると思いますよ。家族への情愛の深さの裏返しで出てくる復讐感情ですから理解できます。
しかし、それと刑罰は別です。
刑罰は、社会のルールに反することを行った人にその行動の非道性/不法性を認めさせ(同時に行動の自由を拘束することで懲罰を与え)、二度とルールに反することは行わないように再教育し、更正が修了した段階で社会に戻すことを第一義としています。刑罰はこの原則から外れることなく決定され、執行されなければいけません(ですから、わたしは死刑には反対です)。
原則は(刑罰に限らずなんでもですが)そのときそのときの感情に動かされて変えてはいけません。
5年前にロンドンで公共交通機関で連続自爆があり、50余名のかたがなくなりました。亡くなったかたのなかに聖職者のお嬢さんがいました。その牧師さん(女性です)は自分の娘がそのような経緯で殺されることになるまでは、ほかのすべての牧師さんと同様に、罪を犯した者は許されなければならない、復讐してはならないと愛の原則を信徒に述べてきましたし、自分の娘もそのように育てました。
しかし、娘が殺されてからは復讐の気持ちを押さえることができず、信徒に向かって「罪を犯した者を許しなさい」と言えなくなってしまいました。非常に苦しんだ末、彼女は牧師の職を去りました。自分の個人的な苦しみによって原則を曲げて人々に伝えるようになってしまわないうちに、まずその職を降りるべきだと判断したようです。
原則は常に守られなければいけません。そうしないと、権力者がルールを恣意的に解釈し、好きなように運用することを許す社会になってしまいますから。
しかし、個人の感情はそれに縛られるものではありません。家族が殺人の被害に遭ったのであれば犯人を殺せと言ってかまいません。それも言論の自由という民主社会の原則です。
でも、その言葉に同調することがあたかも最重要なことで、冷静に考えることを促す人を血も涙もないといった言い方で貶めるような人ばかりの社会になれば、社会の原則はその時々の世間の感情で揺れ動くようになり、やがて法治国家の土台そのものが崩壊します。
ラベル:死刑
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