みなさま、「対岸の火事」を眺める者の立場からの意見です。
昨日(2011年4月5日付け)の朝日新聞衛星版の一面見出しで「汚染水1.1万トン海へ放出」を読んだ瞬間、ぎゅうっと胃を締め付けらるような感覚を得ました。この件については日が変わる前からいろいろなニュースソースから情報を得ていましたが、やっぱりほんとうにやったんだと、なんというか、最初の水素爆発が伝えられたときより罪悪感が大きく、いたたまれない気持ちでいます。
しかも朝日のこの記事自体が完全に政府寄り、東電寄りで(おそらく日本のマスメディア全部がそうなんでしょう)、高濃度の放射性汚水を海に流さないための最善の策であることを強調するばかり。たとえ他に選択肢がなかったとしても、たとえ低レベルであろうとも、放射性の汚水を大量に公海に投棄することに関する、なぜこんなことになってしまったのかといった怒りや嫌悪や自省や、当然あるべき言葉がなにもない。
そのうえ、この放射性物質の海中投棄は、船からの投棄を禁じた国際法はあるが陸からのものはなかったという法の抜け穴を意図的に利用したもののようでもあり、また、韓国などの近隣諸国や福島の地元との事前の協議すらなかったという。相談すれば反対されるに決まっているから既成事実を先に作ってしまえという乱暴なやりかたで、こんなことが許されるはずがない。
(朝日新聞は本日=6日付けの社説「低汚染水放出 政治がもっと責任担え」でこの件に対する非難の姿勢を明確にしていますが、なぜ放出を報じた同じ日にそれが言えないのか。予想を上回る各国の強い非難を受けて、こりゃまずいと思って立場を変えたようにしかわたしには見えません)
東北地方太平洋岸部が被った地震とそれに続く津波による被害に対して世界中から寄せられていた共感が、原発事故への対応の手際の悪さと情報開示の低さに伴って徐々に浸食されていく様子を毎日目にしていました。被害についての報道が目に見えて減り、代わって原発の現況を伝えるものが増えているのを差し、人種差別だとお門違いの非難をする在英の日本人の声も聞きました。
そのようにイギリスの(各国の、と言い換えてもいいでしょう)報道が変化していったのは、他に重大ニュースが目白押しだったからでもありますが、理由はそれだけではない。日本の立場が変わっていったのが大きい。日本の立場は、だれもが言葉を失うような天災の被害者から、たとえきっかけは天災(地震と津波)であったとしても、防ごうと思えば防げたはずの人災(原発事故)の加害者へとシフトしていきました。
それでもまだ国民は被害者として扱われていました。企業の利益を守ることに腐心するばかりで説明責任を果たさない東電、謝罪もなしに逃げ出してしまった東電社長、右往左往する政府にとまどいつつも平常を取り戻そうとする市民。とりわけ、事故現場で苦闘する作業員が英雄として持ち上げられ、3月27日にテレグラフ日曜版が作業員のかたの生の言葉を伝えたのがその頂点であった気がします(のちほどアップします)。
それら現場の人々のニュースに支えられ、日本は被害者と加害者のあいだで微妙なバランスをとっていました。しかし、それが昨日くずれました。放射能汚染水の公海への放出。事実説明だけで淡々と報じる新聞が多いですが、「放出」について discharge あるいは release といった中立的な表現を使うメディアと同じぐらい、dump (投棄)を選ぶメディアも多い。国際世論の中で日本は明確に加害者の側に傾いたと言っていいと思います。
*
現場にいる人には見えないものが見えるかもしれないと考え、「対岸の火事」を眺める者として地震と津波の発生直後からブログを更新し続け、有用と思われる情報を原発震災情報として公開していた。しかし、それも3月20日に14信をアップしたまま止まり、以降は散発的に単独の記事を更新するのみになっている。
このあたりが分岐点だったと思う。
大災害の直後だから情報が混乱するのはしかたがないといった、いわば大目に見る時期が過ぎても日本政府の迷走は収まらず、つまり無能なんだ、本質的に、ということがすっかり露呈してしまった。そして、東電という企業の利益第一の悪魔性と、それにぶら下がる大量の関連会社と、巨額の広告費でふぬけにされた日本のマスメディアとの構造が、もうすっかり知れ渡ったのがこのころだ。
震災の直後、電話での連絡がつくようになるとすぐに、家族と、この人なら話が通じるだろうと思われる在京の友人何人かに立て続けに電話をかけ、電話番号のわからない人にはメールを書き、東京を離れて西にいくように言った。冷却装置の止まった原発がどうなるかほんとうに心配で、チェルノブイリ並みの爆発もあり得ると思っていたからだ。
(たぶん、続きを書きます)
ラベル:原発震災
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「逃げろ」「逃げろ」と仰る方の想像の中には、「逃げたくても逃げられない人」の存在はないのですか? ましてや究極、日本は四界海で、チェルノヴィリ級となって全土汚染となった時、誰が死の灰から逃げられるというのでしょう。
それでも「死ぬまでは生きなければならぬ」というなら、あなた方が向かうべきは日本国の政府。
その政府に「関東以北の市民を逃がせ」「そのための機動力をフル稼働しろ」「失業者の生活を保障せよ」と日本国政府に圧力をかけることではないのか。
アムネスティと同じですよ。拷問されてる市民に「拷問から逃げろ」と呼びかけられますか?
「逃げたくても逃げられない人」の存在は想像できましたので、「家族と、この人なら話が通じるだろうと思われる在京の友人何人か」に言っただけです。そうでないと、「逃げたくても逃げられない人」のことを考えてないと怒られますから。で、案の定、一部の人にはお叱りを受けましたが、ほとんどの人には感謝されました。
どういう人を選んで電話をかけたかと言えば「自分で決められる人」です。そういう立場にあるとかいったことではなく、自分の頭で考えて行動する人。自分で決定する人にとっては判断の材料が肝心なので、わたしの持っていた情報をお分けしました。その結果、東京を一時離れることにした人もいたし、今後の情報に注意を払いつつ仕事を続けることにした人もいました。内部被曝は知識と情報があれば避けることは可能ですし、逃げ出すタイミングにしても情報の読み方しだいです。
ところで、アムネスティは拷問されている市民に「拷問から逃げろ」なんて言いませんよ。国内外からの多数の声を圧力として、拷問している側に「拷問をやめよ」というのがアムネスティの戦略のひとつです。
じつは、前回書いたコメントには前段があります。ブログではこう書きました。
今、残ってる人たちは、連れ合いを残して自分だけ逃げられない人、今も肉親が避難地区に取り残されたままの断腸の思いのなか、また、その地を離れることで職を失うかも知れないと、先々の生活を危ぶむ素朴な人々だということを考えもしないのか。医者や看護婦、自衛隊や消防、レスキューだって戦い続けてる。それらの人と運命を共にという連帯感情もあるだろう。
> アムネスティは拷問されている市民に「拷問から逃げろ」なんて言いませんよ。
という意味での「同じですよ」です。
それほどバカじゃないです(笑)。
それと原発論ですが、段階は2歩も3歩もすすみ、代替えエネルギー議論に追い込まれる心配もまったく要らないと思います。
これからは「原発は必要ない」「事故でこれだけ高くつく」「電力は足りている」これだけの理屈でこと足りると思います。
東京新聞が、「ウォッシュレット撤廃で原発4基相当」と明言した社説をいまだ堅持しているのをなんと見ますか。その一事をもってしても無駄はいくらでも出てきますよ。
だって、不足分は、じつは30パーセントじゃなく10パーセントなんでしょ?
容認派などこれからは「原発不要論」により完膚無きまでに論破し、1人残らず自殺に追い込むくらいの気概でいきましょうよ。
ていねいには、
アムネスティと同じですよ。拷問されてる市民に「拷問から逃げろ」と呼びかけられますか? 【だからアムネスティは、いつも「拷問してる各国政府に非難メールを呼びかけろ」と訴えてるじゃありませんか。】
と書くつもりのところを、言わずもがなで【後段】を省いただけのことです。
アムネスティ会員だった俺が知らないわけないじゃないですか(笑)。