2010年05月27日

世界のことを深く考えさせられる小さな本を紹介してください。

[知恵袋]回答 2010-05-27

『世界がもし100人の村だったら』を読み、考えさせられました。
この本のように大事なことが書かれた小さな本は他にありませんか?
少しのストーリーに人に伝えたいことが凝縮されたような本です。


『世界がもし100人の村だったら』とはちょっと違いますが、同じようにだいじなことの書かれた小さな本を2冊紹介します。両方ともまだ若い女の子によるスピーチの和訳で、ひとりは12歳、もうひとりは13歳です。

『あなたが世界を変える日―12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ 』
セヴァン・カリス=スズキ著 学陽書房

あなたが世界を変える日.jpg

1992年6月11日、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた国連の地球環境サミットでのスピーチ。話したのはカナダから来た12歳のセヴァン・カリス=スズキ。

スピーチの映像(和訳付き)
http://www.youtube.com/watch?v=C2g473JWAEg




『私たちはいま、イラクにいます』
シャーロット・アルデブロン著 森住卓写真 講談社

私たちはいま、イラクにいます.jpg

2003年2月3日、アメリカ・メーン州で行われた町の平和集会でのスピーチ。話したのは13歳のシャーロット・アルデブロン。

シャーロットのスピーチ"What About the Iraqi Children? "の原文はここで読めます。
和訳は「続きを読む」の下にあります。


100人村の電子メールは出版されたものの他にもいろいろバージョンがあり、わたしが2001年に受け取ったのも別のメールでした。もとになるエッセイを書いたのは亡くなられた環境学者のドネラ・メドウズさんです。『100人村』ほど簡単には読めませんが、メドウズさんをはじめとするローマクラブが執筆した『成長の限界』もぜひお読みください。

***
以下は翻訳家の星川さんが不定期発行していたメールマガジン「星川 淳@屋久島発 インナーネットソース」の35号 [03.03.07]に掲載された星川さんによる翻訳です。星川さんとはその後、TUP速報のMLを通じて友人となり、日本とイギリスで何度かお会いしました。かれは現在日本グリーンピースの義務局長の職にあり、年内いっぱいで退かれる予定と聞いています。

イラク戦争開始前のこのころ、わたしは写真家の森住卓さんの『湾岸戦争の子どもたち』の写真展を通じて劣化ウラン弾の使用禁止とイラクへの戦争反対を訴える活動をイギリスで行っていました。このスピーチを知ってからは原文をプリントアウトし、しばしばイラクの子どもたちの写真とともに掲示していました。


以下「星川 淳@屋久島発 インナーネットソース35号 [03.03.07]」より。
同メールマガジンの全文はここで読めます。

***

   ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
  (3) −−−13歳の少女が訴える〜「相手の立場になりましょう」
   ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

★アメリカの独立系サイト AlterNet.org の若者版 WireTap から。
→ AlterNet http://www.alternet.org/
→ WireTap http://www.wiretapmag.org/


  ▼▼▼▼▼▼▼ 引用はじめ ▼▼▼▼▼▼▼

[13歳のシャーロッテ・アルデブロンが、メイン州の平和集会で
話した内容。]

 アメリカ人がイラクに爆弾を落とすことを考えるとき、頭の中で
想像するのは軍服を着たサダム・フセインとか、銃をもった黒い口
ひげの兵隊とか、バグダッドのアルラシード・ホテルの玄関フロア
に「罪人」と説明つきで描かれた父ブッシュ大統領のモザイク画と
かでしょう。でも、知っていますか? イラクに住む2400万人
の人たちのうち半分以上は15歳以下の子どもなんです。1200
万人の子どもですよ。私と同じような子どもたちです。私はもうす
ぐ13歳ですけど、もっと大きい子たちや、もっとずっと小さい子
たちがいて、女の子ではなくて男の子もいるし、髪の毛は赤毛じゃ
なくて茶色だったりするでしょう。でも、みんな私とちっとも変わ
らない子どもたちです。ですからみなさん、私をよ〜く見てくださ
い。イラク爆撃のことを考えるときは、頭の中で私のことを思い描
いてほしいからです。みなさんが戦争で殺すのは私なんです。

 もし運がよければ、私は一瞬で死ぬでしょう。1991年2月1
6日にバグダッドの防空壕で、アメリカの「スマート」爆弾によっ
て虐殺された300人の子どもたちのように。防空壕は猛烈な火の
海になって、その子どもたちやお母さんたちの影が壁に焼きつきま
した。いまでも石壁から黒い皮膚を剥ぎ取って、お土産にできるそ
うです。

 けれども、私は運悪くもっとゆっくり死ぬかもしれません。たっ
たいまバグダッドの子ども病院の「死の病棟」にいる、14歳のア
リ・ファイサルのように。湾岸戦争のミサイルに使われた劣化ウラ
ンのせいで、彼は不治の白血病にかかっています。さもなければ、
生後18か月のムスタファのように、内臓をサシチョウバエの寄生
虫に食い荒らされて、苦しい不必要な死を迎えるかもしれません。
信じられないかもしれませんが、ムスタファはたった25ドル分の
薬があれば完治するのです。でも、みなさんが押しつけている経済
制裁のためにその薬がありません。

 さもなければ、私は死なずに何年も生きるかもしれません。サル
マン・モハメドのように、外からではわからない心理学的打撃を抱
えて……。彼はいまでも、アメリカが1991年にバグダッドを爆
撃したとき、幼い妹たちと経験した恐怖が忘れられないのです。サ
ルマンのお父さんは、生きのびるにしても死ぬにしても同じ運命を
と、家族全員を一つの部屋に寝かせました。サルマンはいまでも、
空襲のサイレンの悪夢にうなされます。

 さもなければ、3歳のとき湾岸戦争でお父さんをアメリカに殺さ
れたアリのように、私は孤児(みなしご)になるかもしれません。
アリは3年のあいだ毎日、お父さんのお墓の土を手でかき分けては、
こう呼びかけていたそうです。「だいじょうぶだよ、パパ。もうパ
パをここに入れたやつらはいなくなったから」、と。でも、それは
ちがったみたいね、アリ。そいつらはまた攻めていくらしいもの。

 さもなければ、私はルエイ・マジェッドのように無事でいられる
かもしれません。彼にとっては、学校へ行かなくてよくなり、夜い
つまでも起きていられるのが湾岸戦争でした。でも、教育を受けそ
こなったルエイは、いま路上で新聞を売るその日暮らしの身の上で
す。

 みなさんの子どもや姪や甥が、こんな目にあうのを想像してみて
ください。体が痛くて泣き叫ぶ息子に、何も楽になることをしてれ
ない自分を想像してみてください。崩れた建物の瓦礫の下から娘が
助けを求めて叫ぶのに、手がとどかない自分を想像してみてくださ
い。子どもたちの目の前で死んでしまい、そのあと彼らがお腹をす
かせ、独りぼっちで路上をさまようのを、あの世から見守るしかな
い自分を想像してみてください。

 これは冒険映画や空想物語やビデオゲームじゃありません。イラ
クの子どもたちの現実です。最近、国際的な研究グループがイラク
へ出かけ、近づく戦争の可能性によってイラクの子どもたちがどん
な影響を受けているかを調べました。話を聞いた子どもたちの半分
は、もうこれ以上生きている意味がないと答えました。ほんとに小
さな子たちでも戦争のことを知っていて、不安がっているそうです。
5歳のアセムは戦争について、「鉄砲と爆弾で空が冷たくなったり
熱くなったりして、ぼくたちものすごく焼け焦げちゃうんだ」と語
りました。10歳のアエサルは、ブッシュ大統領にこう伝えてほし
いと言いました。「イラクの子どもが大勢死にます。あなたはそれ
をテレビで見て後悔するでしょう。」

 小学校のとき、友だちとの問題は叩いたり悪口を言い合ったりす
るのではなく、相手の身になって話し合うことで解決しましょうと
教わりました。相手の行動によって自分がどう感じるかをその子に
理解してもらうことで、その行動をやめさせるというやり方です。
ここで、みなさんにも同じことをお願いします。ただし、この場合
の“相手”とは、いま何かひどいことが起ころうとしているのを待
つしかないイラクの子どもたち全部です。ものごとを決められない
のに、結果はすべてかぶらなければならない世界中の子どもたちで
す。声が小さすぎたり遠すぎたりして、耳をかしてもらえない人た
ちのことです。

 そういう“相手”の身になれば、もう一日生きられるかどうかわ
からないのは恐ろしいことです。

 ほかの人たちが自分を殺したり、傷つけたり、自分の未来を奪っ
たりしたがったら、腹が立つものです。

 ママとパパが明日もいてくれることだけが望みだなんて、悲しい
です。

 そして最後に、自分がどんな悪いことをしたのかも知らないので、
何がなんだかわかりません。

[シャーロッテ・アルデブロンは、メイン州のプレスクアイルでカ
ニングハム中学校に通う13歳。彼女への感想は、お母さんのジリ
アン・アルデブロンまで。aldebron@ainop.com ]

(翻訳:星川 淳)
記事原文→ http://www.wiretapmag.org/story.html?StoryID=15291

***

このスピーチはその後、朝日新聞に取り上げられ、森住さんの写真とともにピクチャーブックになりました。出版にあたって筆者のシャーロットと母親のジリアンが来日したときの様子がここに掲載されています。

この記事には、シャーロットがこのスピーチに先立つ1年前に、「アメリカ国旗」を課題とした学校の作文コンテストに応募したときのエピソードが紹介されています。9.11直後の極端に愛国に傾いたアメリカの硬直した教育現場の様子がわかる部分を以下に引用します。


***

(前略)シャーロットさんは昨年2月、「米国旗」をテーマに学校でおこなわれた作文コンテストに出した作文を紹介しました。「布切れの旗の方が人間より大切にされている。国旗を地面につけたり、悪天候の中で掲げ続けることは法律違反になる。でも、ホームレスの人が一晩中地面で寝ていてもだれも気にしないし、雨から守ってくれることもない」「学校で、子どもたちは、旗に忠誠を誓わせられるけど、正義や平等や人間らしさに忠誠を誓わせられる人はいない」「トマス・ジェラーソン(米建国の父)は旗の本当の意味がほとんど失われてしまっていることに、がっかりするでしょう」と書いた作文に対し、国語の先生は「愛国心のないことを書いた子がいる」と。しかし、この作文を母ジリアンさんがニュースサイト(CommonDreams)に投稿したことで、大きな反響を呼び、さまざまな平和集会でのスピーチにつながっていきました。
 こうしたシャーロットさんの言動は、学校や地域ではどう受けとめられていたのでしょうか。まわりが変わっていったという経験も含めて、たずねてみました。
 「社会の先生はイラクのクウェート侵攻やクルド人への化学兵器使用について話しました。私が『でも、イラクに化学兵器をあげたのはアメリカだし、CIAも協力しました』と言うと、先生は『君は間違っている』と言って議論を打ち切り、以後学年末まで私を指名することはありませんでした。先生たちは私のスピーチを読んでいないか、知っていてもそのことについて私に何も言いません。知らずにすませたいと思っているようです」(後略)

新日本婦人の会のホームページより
http://www.shinfujin.gr.jp/index.html
***


posted by nfsw19 at 00:00| ロンドン ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 知恵袋回答 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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