2013年04月22日

[TUP速報967号] イラク――戦争が遺したがん・先天異常

2013-4-22 9:04:28

国際法違反の兵器の使用がイラクの
将来世代に害を及ぼし続ける

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米国によるイラク戦争・侵略から10年が経ち、ファッルージャをはじめイラク
の各地で、先天異常、がんなどの病気、流産・早産が異常に増えています。
イラクの実情を伝え続けてきた米国のジャーナリスト、ダール・ジャマイル
による衝撃的な報告です。イラクでの自衛隊の活動は2008年名古屋高裁の違
憲判決が確定しました。日本が憲法違反の自衛隊派遣を行ってこのような戦争
に関与した責任を検証しなければなりません。(翻訳:荒井雅子/TUP)
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イラク――戦争が遺したがん
ダール・ジャマイル


劣化ウラン弾をはじめとする軍事関連の汚染にさらされたことが、イラクの広
い範囲で先天性(出生)異常、がんなどの病気が急増している原因ではないか
と疑われている。

多くの一流医師・科学者が、劣化ウラン被曝は、イラクで以前には見られな
かった病気の最近の発生にも関連があると指摘する。たとえば、腎臓、肺、肝
臓の新しい病気や、免疫系全体の崩壊などだ。劣化ウラン被曝はまた、イラク
の多くの行政区域で報告されている、特に子どもの間での白血病、腎臓病、貧
血の症例の急増にも関連がある可能性がある。

また、ファッルージャなど特に米国の激しい軍事作戦が展開された地域では、
イラク女性の間で、流産や早産が激増している。

イラク政府の公式統計によると、1991年の(第一次)湾岸戦争勃発以前、イラ
クでのがんの罹病率は、10万人あたり40人だった。1995年には、10万人あたり
800人に増加しており、2005年には、10万人あたり少なくとも1600人に倍増し
ていた。現在の推計は、増加傾向が続いていることを示している。

こうした統計は衝撃的だが、症例についての適切な記録・研究・報告がないた
め、がんやその他の病気の実際の罹病率は、このような数字をはるかに上回っ
ている可能性が高い。

「がんの統計を得るのは難しいのです。イラクでは公的医療は50パーセントだ
けですから」と、イラク健康管理増進協会のサラーフ・ハッダード医師はアル
ジャジーラに語った。「イラクの医療の残りの半分は民間セクターが提供して
おり、民間セクターは統計の報告をきちんと行いません。ですから、イラクの
統計はすべて、2倍しなければなりません。公式の数字はどれも、本当の数字
の半分でしかない可能性が高いのです」


<有毒環境

ハッダード医師は、がん罹病率の上昇と、米軍がその地域でどれほど爆撃を
行ったかとの間には直接の相関があると考えている。

「同僚も私もみな、ファッルージャで先天性形成異常、不妊症、不育症が増加
していることに気づいています」と彼は言う。「ファッルージャでは、米軍の
爆撃と米軍が使用した武器によって毒物が持ち込まれたという問題があります。
その一つが劣化ウランです」

2004年、米軍は、ファッルージャの街に対して、大規模な軍事包囲を二度行い、
大量の劣化ウラン弾および白リン弾を使用した。

「米軍が私たちの環境に持ち込んだ放射線やその他有毒物質にさらされた、イ
ラクの子どもたちの将来が心配です」とハッダード医師は付け加えた。

しばしば引用される疫学調査に、「Cancer, Infant Mortality and Birth
Sex-Ratio in Fallujah, Iraq 2005-2009(仮邦題:ファッルージャにおけるがん、
乳幼児死亡率、出世時性比――イラク、2005‐2009年)」がある。これは、700
以上のファッルージャの世帯の一軒一軒について調査を行ったものだ。

研究チームは、異常に高い率のがんと先天異常についてファッルージャ住民に
面接調査を行った。

論文執筆者の一人で、化学者のクリス・バズビーによれば、ファッルージャで
の健康の危機は、「これまで調査した集団の中でもっとも高率の遺伝子損傷」
を示すものだと言う。

モズガン・サヴァビーアスファハニ博士は米ミシガン大学(アナーバー市)の
環境毒性学者だ。20編以上の査読論文を書いており、そのほとんどは、有毒物
質・戦争関連汚染物質による健康への影響を扱っている。現在は、イラクの各
都市での戦争による汚染と先天性異常の異常な増加を中心に研究している。

「爆撃を受けた住民は、爆撃の後、汚染された自宅跡とか、金属への暴露が継
続する建物とかにとどまることが多いのです」

「ファッルージャでの私たちの研究では、大多数の世帯が爆撃を受けた自宅に
戻ってそこに住むか、でなければ、自宅のあったところの汚染された瓦礫の上
に家を建て直していました。また使えるものがあれば、爆撃された場所から拾
い出した材料を建築に使っていました。こうしたやり方が広く行われたために、
地区への爆撃が終わった後もずっと、住民は有毒金属にさらされることになる
でしょう」

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2013年04月18日

サッチャーのfactチェック--金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に

英国在住の坂野さん(TUP同人で物理学者で友人)が、サッチャー元首相死去に際し、日本の友人から英国での反応について問われたことを受けて書いたメールを筆者の許可を得てシェアします。Factsの確認に。

以下行替えを適宜変更し、一部大文字にしたほかは原文ママ。

-------- 8< -------- 8< -------- 8< --------

マーガレット・サッチャー元首相が先日、亡くなりました。日本でもそれなりに大きく報道されたようなので、ご存知かとも思います。

僕のソーシャル・ネットワーク・サービスのウェブページは、人々の皮肉といくつかの喜びの声とで埋まりました……。端的には、哀しみを表明している人が見当たらなかったくらいで。

# もちろん、僕のページは、僕の(人間関係や思想の)嗜好が
# 反映されているので、相当の偏りがありますが。

例を挙げると、

「サッチャーの悪行のまとめのビデオを見つけました。もし気に食わなければ、[私への]友達指定外して、失せてもらって結構!」

「埋葬は大変かもね。荒らされそうで。」→「そうだね、だから入場参観料を取ればいいんでないかい? それで今の経済不況問題は一気に解決して、八方うまく収まるよ!」

「今日は私にとって哀しみの日です。今日から、軽蔑する人がいなくなってしまったではないか!」

「[国葬が決まったことを受けて]サッチャーの葬式は、入札に出して、一番安い値をつけたところにしましょう。それこそ女史が望むことでしょうから。(by Ken Loach)」

日本でも一部、報道されたようですが、スコットランドの都市部の大通りは、一部、お祭り騒ぎで浮かれ騒ぐ人(street party)によって通行閉鎖されたりしました。iTune では、(映画「オズの魔法使い」の)「Ding Dong!The Witch Is Dead [鐘を鳴らせ! 悪い魔女は死んだ]」という曲が英国のチャート一位になりました。

日本的には、悪人でも死ねば同じ、静かにしておく、というのが美徳かと思います。英国でも、基本はそのようです。しかし、ことサッチャーに関しては、それは当てはまらないようでした。とはいえ、中には、たとえばパーティーしている人々に眉を顰めている人も結構いたように感じますし、声を出して批判している人もいました。

僕自身は、基本的には日本的美徳に沿った感覚を持っています。現在進行形の暴君が死んで、明日からの生活の改善が期待できる、というならば、お祝いするのは大いに理解できますが(スターウォーズ第三部の「ジェダイの復讐」のように)、すでに政治の表舞台から去って久しく、老化が極めて進行していた人が死んでお祝い、というのは違和感があります。

一方、逝去に際し、批判を述べるのは、何も間違っていないと考えます。実際、死亡を受けて、女史がいかに素晴らしかったか、という(追悼の)声を各所で見かける現実がある以上、批判があるならば同様になされて然るべきでしょう。サッチャーのような公人に対して、死んだからと言って批判を控えるのはおかしいことかと。それは、歴史認識を歪める態度につながりそうですし。

さて、マーガレット・サッチャーが英国でなぜ不人気、どころか嫌悪されているか?

公平に言えば、ファンもいますけどね。いえ、イギリス人の中でも高く評価している人は(の方が??)多いと思います。ただ、特にスコットランドでは、本当に蛇蝎のように嫌われているようです。実際、サッチャー時代、保守党(Conservative)は、もともと半分以上あった議席のほとんどを失いました。議席を失う、というのは、本物かと。

サッチャーは、保守党の権化のような存在だと思います。そういう意味では、金持ち以外、つまり国のほとんどの人にとっては困った存在だと言う事になりますね。もちろん、それはあくまで原則であり、現実には、保守党は、貧困層からも一定の支持を集めていますが。日本で自民党が一定の支持を集めているのと同様に。ただ、サッチャーの場合は、保守の人々からさえも往々にして嫌われています。

サッチャー以前、英国は半ば社会主義の世界でした。基本的な公共サービス(水道、ガス、電気、電話、鉄道などなど)はすべて国有でした。

サッチャーの「業績」で一番有名なのは、privatisation(私有化)だと認識しています。国有サービスを次から次へと私企業化しました。「小さな政府」のかけ声で。

国家サービスの私有化に伴い、多くの閣僚や議員の懐が潤いました。私有化した企業の幹部や大株主にそういった人々が名を連ねていることが珍しくなく。

これに伴って、当時、強い勢力を誇っていた労働組合への圧力を決定的に強めました。たとえば、それまで許されていた労働闘争手法を違法化したりしました。当時の経済不況と相まって、またストライク続きで社会機能がしばしば半ば麻痺した状況に嫌気がさしていた市民も少なくなかった[*]ことも影響したのでしょう、サッチャー時代、労働組合は力を激減することになりました。中でも有名なのは、1984-85年の鉱夫の労働組合の全国ストライキとの対決で、結果、1年に亘った闘争の末、組合側が完敗した事件でしょうか。
http://en.wikipedia.org/wiki/UK_miners'_strike_(1984–1985)

[*]サッチャー以前の数年間には、ストライキによって、停電やゴミの未回収・未処理が相次ぎました。果ては遺体の(埋葬や火葬をせずに)放置が報道されたこともありました。

その時、公有、または公的補助が入っていた産業、特に鉱山の多くを潰しました。一方、格別な失業対策は行わなかったため、街には失業者が溢れることになりました。

同様に、政府の支出"削減"を断行しました。福祉やNHS (National Health Service = 国民保健サービス; 英国では基本的に医療はすべて国公立で無料; そのシステムの名称)や学校などの教育機関への支出削減が悪名高いところです。要するに、緊縮財政、ということです。しかしながら、以下に述べることとのバランスで、結果的にはトータルで見ると国家支出は削減ではなくむしろ微増になったようです。

# サッチャーの渾名の一つ、"Milk Snatcher"[牛乳泥棒;
# 「サッチャー」と「スナッチャー」とを掛けた洒落]は、学校での
# 無料の牛乳提供を廃止したことに由来します(首相になる前の話)。

一方、ところによっては、支出を大幅増額しました。特に、軍隊、警察、そして地方自治への干渉(たとえば大ロンドン市議会を1986年に文字通り潰しました。つまり英国政府の直接管轄下に置いた)。端的には、警察国家化したわけですね。またそれまで自前で賄っていたものを外注に変えたことで民間への支出が大幅に増えました(当然、内部での支出は減ったでしょうから、支出の純増ではありませんが)。

公営住宅(Council Homes; 低所得層や生活保護を受けている人に国や地方自治体が低家賃または無料で提供する住宅)を現住人に格安で売り渡す政策を推進しました。短期的には、政府の収入が増えることになります。しかし、公営住宅を売ったところで、その需要が減るわけではありません(いや、後述するように失業率の高さ故むしろ増えた?)。一方、この時代、公営住宅を国が新規購入または建築することは多くなかったようです。結局、私企業(不動産屋)から国が家を借り上げてそういった人々に提供する必要が生じ、少し長期的に見ると、国の関連支出は増えることになりました。また、元々低所得の人が家を買い上げても結局ローンが支払えず抵当に入ることが頻繁にあり、銀行や不動産屋は大いに潤いました(間接的に国から安く入手した家を高く売れることになりますから)。

また税制改革を断行しました。間接税を倍増させ(消費税が 8%→17.5%)、一方で特に高所得層の直接税(所得税)を減税しました。住民税(=固定資産税)を廃止して人頭税(poll tax)に置換えました--- 言葉を替えれば、以前は所有資産価値によって大きく変わっていた住民税(+固定資産税)を全員一律にしました。当然、資産を持っていない人には相対的に厳しく、高級住宅に住む人には福音になりました。これらの結果、税制の逆累進制が進められ、貧富の差が大いに拡大しました。

商取引における数々の法的制限を撤廃しました。英国の金融業はこれにより潤い発展しました。一方、二次産業は次から次へと廃業の憂き目を見ました。サッチャー時代の最初の不況では、20% の産業会社が潰れたとか。ロンドンの金融街はよかったかも知れませんが、一次・二次産業に頼るスコットランドでのダメージは計り知れないものがあったようです。失業率は鰻登り、記録更新が続きました。

ちなみに、当時、第一次石油ショックの余韻と第二次石油ショックのあおりで原油価格が高騰して結果的に北海油田からの利益が増えています。国の保護下にあった産業を切り捨てたこと、金融業の発展などにより、失業者は激増したものの、英国の国民総生産の収支は保たれたようです。

犯罪数はサッチャーの時代に倍増しました。警察国家を推進したことを考えれば、皮肉なことです。

これらのため、英国内での南北格差は拡大しました。英国内の南北格差とは、南部(端的にはロンドン)は金持ちで、北部(端的にはスコットランド)は貧しい、という状況です。

# ちなみに、前述の人頭税は、スコットランドではイングランドより
# 1年早く導入されました。

サッチャーがスコットランド人には特に嫌われている理由のひとつでしょうか。本人のキャラクターとして、イングランド人のメンタリティが大きく、スコットランドを軽視する雰囲気があった、とも聞くので、それも大きかったのかも知れません。

# 余談ですが、この人頭税は、今では英国全土で廃止されていて、
# 固定資産税に似た意味を持つ住民税に戻っています。
# 「似た」と言うのは、住民税は、賃貸か所有かに関わらず、
# 住んでいる家の場所と不動産資産価値によって決定、所帯単位で
# 課税されるからです。

付け加えて、"Care in the Community"政策を断行しました。これは、それまで病院で入院治療されていた精神病患者を地域に返し、各家庭で面倒を見るようにした政策です。治療効果という意味でそれ自体は必ずしも悪いこととは限りませんが、当然、医師や看護士の各家庭への充実した出張ケアが前提になりましょう。
http://en.wikipedia.org/wiki/Care_in_the_Community
現実には、この政策の主眼はコスト削減にあったようで、サッチャー政権で批判が高い政策の一つのようです。

以上が、内政の話です。

外交という意味では、フォークランド紛争で最も過激な方策を取った事(両軍に死者累累……。ただし、同戦争のおかげで、歴史的低迷をしていた内閣支持率は急回復し、後の国政選挙で圧勝、サッチャー時代を不動のものにしました)、ピノチェトやスハルトとの蜜月を公言、ネルソン・マンデラをテロリストとして指弾、イラン・イラク戦争中のうすら暗い取引や政策などなど、問題は数知れずありますね。ただ、一般論として、外交は、本人の国内の人気にはあまり影響しないものでしょうね。華々しい戦争を除いて。

色々聞いて回った僕の印象としては、サッチャーの政策には確かに、インパクトがあるものが多かったでしょうね。鉱山潰し、労働組合潰しがその最たるもので。「鉄の女」の渾名に表されるように、強面の印象があるのも事実でしょう。上述したように、政策そのものの問題は枚挙に暇がないにせよ、そういう感情レベルでの反感は、当時大きかったかも知れません。

# 最も有名なのは、1980年10月10日の保守党総会にての演説でしょう。
# それ自体が、Wikipediaに載っているくらい。
# http://en.wikipedia.org/wiki/The_lady's_not_for_turning
# 核心部を邦訳すると、
# 「マスコミが好むであろう[政策の]『取りやめ』宣言を息を潜めて
# 期待している面々に申し上げよう。私の答はただ一言だけ、
# 『やめたいものはそうすればよい。わらわはやめぬ。』」
#
# [邦訳が強烈に困難な原文です……。言葉を二重の意味に使っていて、
# おまけに言葉遊びとしての洒落も効いていてさらにインパクトを
# 増しているもので……。最後の文章は、「(政策を)とりやめる」に
# 「離党する」の意味を掛けています(かつ、駄洒落にもしている)。
# そして、最後の文の主語を通常の "I" ではなく、"The lady"
# としているのも強烈です。「鉄の女 (the Iron Lady)」の
# 渾名は当時すでに定着していたことが背景にあることと想像できます。]

それと相まって、英国で歴史上初めての女性首相というのもインパクトがあります。実際、「女だてらに」という男性からの感情的反感、および同性の女性からの「あんなの女じゃない」という軽蔑的反感との両方を感じることがあります(僕の個人的印象に過ぎませんが)。男尊女卑的な保守層からの反感の理由の一端は、多少はそこにあるかも知れません。スコットランドは、そういう意味ではイングランド以上に保守的な面がある(あった)ので、イングランド人女性首相というのは、反感を買う材料を増やした側面はありそうです。

サッチャー時代、一般にサッチャー政権(Thatcher Government)と呼ばれることが多かったようです。最近は、保守党政権(Conservative/Tory Government)、労働党政権(Labour Government)と呼ばれるのが普通であることを考えれば、当時のサッチャーの存在感の大きさが窺われます。よくも悪くも、マーガレット・サッチャーは、英国近代政治史に大きな足跡を残した人であることには、異論がないところでしょう。

以上、事実関係自体はそれなりにはちゃんと調べたつもりです。一方、述べる各項目の選択がどれほどバランスが取れたものかは、自信がありません。重要な項目で触れていないものもあれば、相対的にはそれほど重要でないのに採上げたものもあるかも知れません。加えて、僕は、英国で同時代を体験したわけではありませんから、原因などについては、僕の現在の(偏っているおそれもある)観察に基づくところも多々あって、多くの推測が混じります。全体としてそれほど大きくは外してなければいいと思うんですが。

2013-04-18
坂野正明

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2013年04月14日

サッチャリズムが生んだイングランド暴動

[知恵袋回答] 2013/4/14 00:07:58

サッチャー元首相が亡くなって
 祝福している人たちがいるけど
 サッチャー政権時代はそんなにひどかったんですか
?>


サッチャーについて中間の意見を持つ人に会ったことがありません。好きか嫌いかどちらかです。そのように生前から評価が極端に分かれる政治家だったので、その死に際して好悪の表現がより極端に噴出しているようです。

簡単に言えば、サッチャーは人の生活の全場面に競争原理を持ち込みました。したがって競争に勝った人はその機会を与えたサッチャーをほめちぎり、勝てなかった人は嫌うという構図になっています [*1]。サッチャー自身は八百屋の娘[*2]から一国の首相にまで上り詰めた人で、いわば人生の勝者です。そして、自分にできたことをすべての人に求めました。「やればできる。できないのは努力が足りないからだ」ってことです。でも、ちょっと考えればわかりますが、どんなにがんばっても全員が勝者になれるわけではなく、一部に大勝ちする者がいればその影で多数の敗者が生まれることになります。

[*1]うんと単純化すればです。自分自身は「敗者」とは言えなくても、そのような、すべてが競争で決されるような社会に反対する人々もサッチャーを評価しない。

[*2]正確には「食品兼雑貨屋」で個人経営のコンビニのような商店。「グローサリー」には八百屋の意味もあり、野菜は必ず売っている。同じような品揃えでも、新聞も販売している場合は「ニューズエイジェント」とカテゴライズされる場合もある。

サッチャー以前のイギリスは「ゆりかごから墓場まで」と言い表される高福祉が社会全体に行き渡っていました。これは、第二次大戦後、荒廃した社会の立て直しのためにアトリー労働党政権が導入した社会主義政策の一環で、基幹産業の国有化と社会福祉(無料の医療と教育、安価な公営住宅など)を支柱としていました。戦後しばらくはこの政策転換が奏功し、健康の向上や女性の社会進出、教育機会の平等などが進みました。しかし、サッチャーが政権に就いたころには高福祉の弊害も出てきており、また労組が極端に力を持ったことを一因として世界経済から立ち後れる事態となっていました。これが有名な「英国病」です[*3]

[*3]たとえば独占企業の東電が腐ったように、競争のない独占国営企業はえてして腐りがち。

サッチャーは政権に就くと国の足かせになっていた福祉予算を切り詰め、公営事業(鉄道、水道、郵便など)を私企業に売り払います。また、採算のとれなくなった(と言われていた[*4])公営炭坑事業などを廃止し、同時に組合をつぶしました。このときに、たとえば親子代々炭坑一筋で働いていた一家の大黒柱が何千人も一度に首を切られましたが、職を失うのはその人たちだけではなく、それらの労働者家庭によって支えられていた地域の全産業が同じ道をたどりました。これにより国の負担は軽減された一方、職を奪われた人々から働く喜びとプライドをはぎ取りました。そのようにして、町ごと荒廃したまま(住人の精神生活も荒廃したまま)、その後の好景気からも取り残された町がイギリスにはあちこちにあります(これから良くなる見込みもありません)。

[*4]実際に採算の取れなくなっていた炭坑をつぶすと同時に、「改革」の足かせになる(組合の強い)利益の上がっていた鉱山(たとえばイングランド北部のダラムの鉄鋼鉱山)もつぶしたらしい。

「ヴィクトリア時代への回帰(質素倹約、自助努力、自己責任)」がサッチャーの政治哲学ですが、実際のところ、彼女の人生も運に負うところが少なくない。辞退者があったために繰り上がり奨学生としてオックスフォード大学へ進学できたこと[*5]や、卒業後に法廷弁護士の資格を取れた[*6]のは結婚相手のサッチャー氏(裕福な実業家)の援助によることなど、ラッキーな人生だったと言っていいと思います。戦後のイギリスに社会福祉を導入したアトリーが裕福な弁護士の息子で、オックスフォード大卒業後にスラムで働いているときに貧困層への福祉の必要性に目覚めたのとは対照的に、サッチャーは一貫して個人主義だった(個人の利益追求を奨励した)と言えるかもしれません。

[*5]当時、大学教育はすべて無料だったので(1997年まで無料だった)この奨学金は書籍代や住宅費その他の費用に充てたと推測。当時の大学進学率は18歳人口の5%程度とのことで(改めて調べてませんけど)、大学に行くこと自体がそもそもエリートの証。

[*6]大学卒業時の学位は「化学」で、結婚後再び勉強し直して法廷弁護士の学位と資格を得た。



サッチャーがいなければ
 イギリスはよりよい国になっていましたか
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わたし自身はサッチャー嫌いですが、それでもイギリス経済を建て直したサッチャーの業績はしぶしぶ認めざるを得ないと思っていました。しかし、一昨日テレビで聞いたところでは、当時の欧州はどの国もイギリスと同様の経済低迷状態にあったにもかかわらず、フランスもドイツも社会民主主義政権のもと、サッチャーが導入したような労働者から希望を奪う政策なしで立ち直ったと聞き(ソースを確認していませんが)、そういう道もあったのだなあと知ったのでした。



<難しいですね…
 極端な社会主義も逆に極端な資本主義、競争社会も
 それらの欠点が大きくでてしまう
 だれもが幸福になるような政策なんてなかなかないものです
 炭鉱労働者達を既得権益者と言ってしまえばそれまでだが
 彼らも国民ですしね
 ただ切り捨てるわけにも行かない>


ブレアが労働党にあって労働党らしくない政治家だったように、サッチャーは保守党にあっても全く保守的でない政治家で、非常にラディカルな政策を繰り出しました(ちなみにブレアの政策は労働党風味のサッチャリズム)。たとえば、公営住宅を住んでいた人に安価で払い下げたり、国営企業の私営化にあたって株を広く一般に持たせたりなど(組合員がこぞって買ったそうです)。この機会に大儲けとまではいかないまでも小金儲けぐらいはできた人が多く、それが長く人気を保てた理由のようです。そんなわけで(確かに人頭税は不人気でしたが)サッチャーは選挙に負けていません。任期半ばでの辞任は党内守旧派との権力争いに負けたからで、国民には一度も否定されてないんです。

では何が問題か。サッチャーの言う「がんばればだれでも目標を達成できる」の「目標」がイコール金儲けになってしまったからではないでしょうか。これによって、サッチャー以前のイギリス人の美徳の一つと言われていた質素倹約や弱者への思いやりといったモラルが薄れ、享楽主義や自分さえ良ければいいといった風潮が蔓延しました。このようにして壊れた社会は一朝一夕には元には戻らず、崩壊は進んでいます[*7]

[*7]この拝金主義の極端な表出が、一方ではシティの株トレーダーたちの金満生活であり、もう一方が一昨年夏にイングランド各地で巻き起こった暴動だった。イギリスでは、政治的背景を持つ暴動は時々発生するので暴動そのものは珍しくないが、一昨年の暴動でもっともショッキングだったのは(人種差別への抗議から始まったにもかかわらず)ほとんどの暴動「参加者」の行動の動機が物欲と金銭欲のみだったこと。

とは言え、いま現在のサッチャーへの風当たりの強さは、現キャメロン政権がサッチャーの仮面をかぶって繰り出している弱者いじめとも言える政策にも原因があるかもしれません。現政権はサッチャーでさえ手をつけなかった国民健保の私営化にも着手し始めており、それをやっているのが八百屋の娘ではなく上流出身のぼんぼん集団なので非常に不人気です[*8}

[*8}キャメロンは、どちらかと言えばサッチャーそのものよりも、サッチャーの優秀な子であるブレアの手法に習うことが多く、今回のサッチャー葬儀もブレアがやったダイアナ葬儀に学んだのではないかと思う。国葬でもないのに女王参列を促したところなどに特に影響を感じる。ブレアはダイアナ葬儀を開催することを通じてダイアナの神通力まで自分のものにした部分がある。

サッチャーは保守党を変えたとよく言われるが、保守党が変わったのはサッチャーが政権にいたときだけで、保守党そのものはサッチャー前後でさほど変わっていないようだ。深刻な変わり方をしたのは労働党のほうで、結局サッチャリズムを正しく踏襲するニューレイバーを引っさげてブレアが登場するまで政権を取ることができなかった。




イギリスが英国病から立ち直れたのって
 北海油田のおかげでもありそうですね


オイルショックによる原油の値上がりを背景とした北海油田の好景気も、勢いで「勝った」フォークランド紛争も、サッチャーのラッキー人生の一環と言えるかもしれません。

* * *

ところでわたしは、「サッチャーが死んだ〜!」とお祭り騒ぎするのも大人げないので、家で夜中にサッチャー死亡記念連続映画鑑賞をしている。

第1夜は『ハンガー』を見た。
HUNGER - OFFICIAL TRAILER


第2夜は『だれかの息子 ある息子 (Some Mother's Son) 』を見た。[*]
Some Mothers Son (フルムービー)

映画冒頭にサッチャーの首相官邸前での有名なインタビューのニュースリール。ヘレン・ミレンが主演(ハンガーストライキ参加者の母親)とアソシエイト・プロデューサーを務めた。

[*]『パブリシティ』の竹山さんがマールマガジンで当ブログのサッチャー死亡関連記事を連続紹介してくださっている。なので久々に当記事を読み返してみたところsome mother's sonが意訳し過ぎかも思ったのでよりストレートな訳に修正しました。もっとストレートに訳すなら「ある男」かもなあ。あらゆる男には(女にもだけど)母親が居る(いちおう父親も要るけどね)というバックグラウンドを出したいので「息子」にしときます。(ここだけ14.01.10)

北アイルランド(IRAのハンガーストライキもの)が続いたので、次はスコットランドとか北イングランドとかにしようかと思っている。いずれもサッチャー政策によってひどく傷つけられ、捨て置かれた地域。

『ビリー・エリオット(邦題:リトルダンサー)』
炭坑ストライキを背景に、ストライキを続ける炭坑仲間と長男を裏切り、次男の夢を叶えるためにスト破りする父親。撮影地はダラム。スティーブン・ダルドリー監督。

http://www.youtube.com/watch?v=WfXnlATYccY

『トレイン・スポッティング』
失業者のあふれる80年代後半のエディンバラ。仲間を出し抜いてドツボから抜け出す若者(サッチャーが奨励した winner take all = 勝者総取りの見本といっていいかも。イギリスの小選挙区制もこれ)を演じるユアン・マクレガーの出世作。ダニー・ボイル監督。

http://www.youtube.com/watch?v=gnxUQMirFMo

ヨークシャーの炭坑閉鎖を背景にした『Brassed Off(邦題:ブラス!)』とか、シェフィールドの鉄鋼失業者たちが男性ストリッパーになるまでを描くコメディ『フル・モンティ』とか、サッチャー時代の苦境を背景にした映画には名作が多いし、こうした映画をデビュー作とする名監督や名優も多い。これもサッチャーの遺産と言っていいのかも。

ところで、『トレイン・スポッティング』のダニー・ボイルはよく知られるようにロンドン・オリンピックの開会式総監督であり、『ビリー・エリオット』のスティーブン・ダルドリーはロンドン・パラリンピックのセレモニー総監督だった。当然のことながら、両スポーツイベントのセレモニーはトーリーの重鎮が頭から湯気を出すほど「左寄り」になった(笑)。
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2013年04月13日

[TUP速報966号] リバーベンドの日記 - イラク侵攻10年に刻んでおこう、何を学んだのか。

2013-4-13 5:25:06

バグダード陥落から10年。私たちの学んだこと。

2003年には、1年が自分に残された寿命のように思えた。愚か者は「なにもかもすぐによくなるさ」といった。楽観主義者は1、2年の猶予を占領者に与えようとしていた。現実主義者は「少なくとも5年は何事も改善しないだろう」といった。 悲観主義者は?悲観主義者は「10年はかかるだろう」といった。

この10年を振り返り、占領者たちと彼らの操り人形のイラク政府とが10年間私たちに何にをしてくれたのか、みてみよう。この10年で、彼らが何を成し遂げたのか?私たちは何を学んだのか?(本文より)

2007年10月、難民になってしまったという報告を最後に、途絶えていたリバーベンドが日記を再開しました。たぶんこれが最後だろうという言葉とともに。

戦渦のバグダードから、毎日の暮らしを営む人間としての声を届けていてくれたリバーベンドの「この10年で学んだこと」。彼女の声はますます強く深く確固たるものとして心に届きます。

(この記事はTUPとリバーベンドブログ翻訳チームの連携によるものです)

前文:金 克美(キム・クンミ)/TUP  翻訳:伊藤美好・金克美/リバーベンドブログ翻訳チーム


2013年4月9日火曜日
あれから10年・・・。


2013年4月9日で、バグダード陥落からちょうど10年になる。あの侵略から10年。数百万のイラク人の人生が永劫に変わった日から10年。とても信じられない。日々の営みを世界中と分かち合っていた頃が、ほんの昨日のことのように感じられる。今日は、再び、私の思いをこのブログに書き留めておかなければならないと思う。おそらく、これが最後になるだろう。

2003年、私たちは、自分たちに残された命の長さを、あと何日、あと何週間と数えていた。来月まで生き延びられるだろうか? この夏を越せるだろうか? 生き抜いた人もいたが、多くは逝ってしまった。

2003年には、1年が自分に残された寿命のように思えた。愚か者は「なにもかもすぐによくなるさ」といった。楽観主義者は1、2年の猶予を占領者に与えようとしていた。現実主義者は「少なくとも5年は何事も改善しないだろう」といった。悲観主義者は? 悲観主義者は「10年はかかるだろう」といった。

この10年を振り返り、占領者たちと彼らの操り人形のイラク政府とが10年間私たちに何にをしてくれたのか、みてみよう。この10年で、彼らが何を成し遂げたのか? 私たちは何を学んだのか?

私たちは多くを学んだ。

人生は不公平だが、それにもまして死は不公平だということを。― 死は善き人々を選んで連れ去る。死さえ、運・不運がある。運のいい人たちは「正常に」死ぬ・・・がんや、心臓発作や、脳卒中といったありふれた死に方で。不運な人たちは、ばらばらになった肉塊を拾い集められることになる。彼らの家族は、夥しい血に染まった地面から、どうにかかつての面影をかき集め、救い出し埋葬する。不思議なことに路上の血は赤くないのだ。

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ラベル:イラク戦争
posted by nfsw19 at 06:00| ロンドン ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | TUP速報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月09日

サッチャーがフェミニストだって!?

[知恵袋回答] 2013/4/9 11:38:13

<亡くなられたサッチャー元首相についてどう思いますか?
 ウーマンリブ志向で憧れの存在だっただけにショックです>


質問者さまをはじめ、好意的な意見が多いのでとても驚いています。日本ではサッチャーの位置づけはやっぱりそんなもんなんですかねえ。

イギリスでは、サッチャーについてはもともと賛否両論(というか、中間の意見などというものは存在しない)なので、亡くなった日のその晩の放送だというのに、お悔やみもそこそこ、生放送のニュース解説番組もあらかじめこの日に備えて作ってあった証言番組も、いやまあこれほどとたまげるほど否定的な意見が矢のように飛び交ってました。もちろん保守党支持者はこれ以上ないほど褒めちぎってますけど。

ネットでも、昼のニュースでサッチャー死亡が伝えられて以降、フェイスブックやツィッターでは「オズの魔法使い」がぐるぐるまわり、ほとんどお祭り状態。たとえばこれ。

悪い魔女が死んだ〜、悪い魔女が死んだ〜、というお祝いの歌です。


サッチャーがおもに経済と福祉の分野を通じてイギリスに持ち込んだ哲学(というか「生き方」と言ってもいいかも)は「自助努力」と「自己責任」です。サッチャー自身が、八百屋の娘→公立進学中等学校→オックスフォード大学→国会議員→野党党首→首相、という絵に描いたような立身出世街道を歩んだ人物であり、自分がしたこと(自分にできたこと)を国民全員に求めたと言っていいでしょう。努力さえすればだれでも理想のコースを歩むことができ、そうならないのは努力が足りないからだというのが彼女の言い分で、「運や才能」あるいは「社会システム」の寄与についてはなかったことにしたんですね。

その結果、第二次大戦後のイギリス政治最大の成果であった(それが一方で経済低迷の原因にもなったのではありますが)「だれも不幸にならない社会」の仕組みが取っ払われ、労働者から誇りが奪われただけでなく、わがままが美徳として奨励されるような現在のイギリス社会になったと言われています。



「サッチャーは女性の味方」とか「サッチャーはフェミニズムの推進者」と唱える人の多くは、その理由として「サッチャーの性別は女」以外の根拠を持たないだろうと推測する。

確かに(たぶん?)サッチャーは女性あり、双子(ろくでもないマーク・サッチャーと「密林の女王」キャロル・サッチャー)の母であり、首相になってからは服装に気を使い、毎朝30分美容師に髪を整えてもらっていたそうだが、それ以外の面でサッチャーの「女性」性が発揮された場面をあいにく見つけられない。

サッチャーはメリトクラシー推進者であり、エリート主義者であり、比較的恵まれないバックグラウンド(たとえば「女性である」とか「労働者階級出身である」など)から成り上がった人間を強く支持したが、女性の地位向上のために目立った功績があったわけではない。11年間もの長期政権を維持しながら一人の女性閣僚も起用しなかった点に、その哲学の一端が読み取れるだろう。

もしサッチャーが女性の地位向上のために何か役立ったとすれば、「わたしのようになりなさい」がすべてと言ってよく、それに励まされた人がいたかもしれないだけだ。



サッチャー以前にも「鉄の女」と呼ばれた女性政治家がイギリスにはいて、労働党の閣僚経験者バーバラ・カッスル(またはキャッスル)は本物のフェミニストと言えるだろう。
http://en.wikipedia.org/wiki/Barbara_Castle,_Baroness_Castle_of_Blackburn

彼女は、雇用大臣だった1968年、フォードのダゲナム工場で実施された女性労働者の賃上げ要求ストライキを支持して女性労働者の地位向上に貢献し、1970年には賃金の性差別を撤廃する同一賃金法を成立させた。

このストライキと同一賃金獲得(男性の給与の97%)までの女性たちの行動を描いたのが2010年の英国映画『メイド・イン・ダゲナム』で、3年前に帰国便の機内で何気なく見始めたらあまりにも面白くてたまげた。あちこち史実とは違うようだが、ともかく脚本がよく、役者の演技はうまく、涙あり笑いありで無類に面白いし励まされる。60年代の庶民のファッションやインテリアや音楽に興味があれば、なお楽しめる(バーバラ・カッスルは実名で出て来ます。もちろん役者です。もう死にましたから)。

Made In Dagenham - Official Trailer [HD]




posted by nfsw19 at 04:00| ロンドン ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 知恵袋回答 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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