英国在住の坂野さん(TUP同人で物理学者で友人)が、サッチャー元首相死去に際し、日本の友人から英国での反応について問われたことを受けて書いたメールを筆者の許可を得てシェアします。Factsの確認に。
以下行替えを適宜変更し、一部大文字にしたほかは原文ママ。
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マーガレット・サッチャー元首相が先日、亡くなりました。日本でもそれなりに大きく報道されたようなので、ご存知かとも思います。
僕のソーシャル・ネットワーク・サービスのウェブページは、人々の皮肉といくつかの喜びの声とで埋まりました……。端的には、哀しみを表明している人が見当たらなかったくらいで。
# もちろん、僕のページは、僕の(人間関係や思想の)嗜好が
# 反映されているので、相当の偏りがありますが。
例を挙げると、
「サッチャーの悪行のまとめのビデオを見つけました。もし気に食わなければ、[私への]友達指定外して、失せてもらって結構!」
「埋葬は大変かもね。荒らされそうで。」→「そうだね、だから入場参観料を取ればいいんでないかい? それで今の経済不況問題は一気に解決して、八方うまく収まるよ!」
「今日は私にとって哀しみの日です。今日から、軽蔑する人がいなくなってしまったではないか!」
「[国葬が決まったことを受けて]サッチャーの葬式は、入札に出して、一番安い値をつけたところにしましょう。それこそ女史が望むことでしょうから。(by Ken Loach)」
日本でも一部、報道されたようですが、スコットランドの都市部の大通りは、一部、お祭り騒ぎで浮かれ騒ぐ人(street party)によって通行閉鎖されたりしました。iTune では、(映画「オズの魔法使い」の)「Ding Dong!The Witch Is Dead [鐘を鳴らせ! 悪い魔女は死んだ]」という曲が英国のチャート一位になりました。
日本的には、悪人でも死ねば同じ、静かにしておく、というのが美徳かと思います。英国でも、基本はそのようです。しかし、ことサッチャーに関しては、それは当てはまらないようでした。とはいえ、中には、たとえばパーティーしている人々に眉を顰めている人も結構いたように感じますし、声を出して批判している人もいました。
僕自身は、基本的には日本的美徳に沿った感覚を持っています。現在進行形の暴君が死んで、明日からの生活の改善が期待できる、というならば、お祝いするのは大いに理解できますが(スターウォーズ第三部の「ジェダイの復讐」のように)、すでに政治の表舞台から去って久しく、老化が極めて進行していた人が死んでお祝い、というのは違和感があります。
一方、逝去に際し、批判を述べるのは、何も間違っていないと考えます。実際、死亡を受けて、女史がいかに素晴らしかったか、という(追悼の)声を各所で見かける現実がある以上、批判があるならば同様になされて然るべきでしょう。サッチャーのような公人に対して、死んだからと言って批判を控えるのはおかしいことかと。それは、歴史認識を歪める態度につながりそうですし。
さて、マーガレット・サッチャーが英国でなぜ不人気、どころか嫌悪されているか?
公平に言えば、ファンもいますけどね。いえ、イギリス人の中でも高く評価している人は(の方が??)多いと思います。ただ、特にスコットランドでは、本当に蛇蝎のように嫌われているようです。実際、サッチャー時代、保守党(Conservative)は、もともと半分以上あった議席のほとんどを失いました。議席を失う、というのは、本物かと。
サッチャーは、保守党の権化のような存在だと思います。そういう意味では、金持ち以外、つまり国のほとんどの人にとっては困った存在だと言う事になりますね。もちろん、それはあくまで原則であり、現実には、保守党は、貧困層からも一定の支持を集めていますが。日本で自民党が一定の支持を集めているのと同様に。ただ、サッチャーの場合は、保守の人々からさえも往々にして嫌われています。
サッチャー以前、英国は半ば社会主義の世界でした。基本的な公共サービス(水道、ガス、電気、電話、鉄道などなど)はすべて国有でした。
サッチャーの「業績」で一番有名なのは、privatisation(私有化)だと認識しています。
国有サービスを次から次へと
私企業化しました。「小さな政府」のかけ声で。
国家サービスの私有化に伴い、多くの閣僚や議員の懐が潤いました。私有化した企業の幹部や大株主にそういった人々が名を連ねていることが珍しくなく。
これに伴って、当時、強い勢力を誇っていた労働組合への圧力を決定的に強めました。たとえば、それまで許されていた労働闘争手法を違法化したりしました。当時の経済不況と相まって、またストライク続きで社会機能がしばしば半ば麻痺した状況に嫌気がさしていた市民も少なくなかった
[*]ことも影響したのでしょう、サッチャー時代、労働組合は力を激減することになりました。中でも有名なのは、1984-85年の鉱夫の労働組合の全国ストライキとの対決で、結果、1年に亘った闘争の末、組合側が完敗した事件でしょうか。
http://en.wikipedia.org/wiki/UK_miners'_strike_(1984–1985)
[*]サッチャー以前の数年間には、ストライキによって、停電やゴミの未回収・未処理が相次ぎました。果ては遺体の(埋葬や火葬をせずに)放置が報道されたこともありました。その時、公有、または公的補助が入っていた産業、特に鉱山の多くを潰しました。一方、格別な失業対策は行わなかったため、街には失業者が溢れることになりました。
同様に、政府の
支出"削減"を断行しました。福祉やNHS (National Health Service = 国民保健サービス; 英国では基本的に医療はすべて国公立で無料; そのシステムの名称)や学校などの教育機関への支出削減が悪名高いところです。要するに、緊縮財政、ということです。しかしながら、以下に述べることとのバランスで、結果的にはトータルで見ると
国家支出は削減ではなく
むしろ微増になったようです。
# サッチャーの渾名の一つ、"Milk Snatcher"[牛乳泥棒;
# 「サッチャー」と「スナッチャー」とを掛けた洒落]は、学校での
# 無料の牛乳提供を廃止したことに由来します(首相になる前の話)。
一方、ところによっては、支出を大幅増額しました。特に、軍隊、警察、そして
地方自治への干渉(たとえば大ロンドン市議会を1986年に文字通り潰しました。つまり英国政府の直接管轄下に置いた)。端的には、
警察国家化したわけですね。またそれまで自前で賄っていたものを外注に変えたことで民間への支出が大幅に増えました(当然、内部での支出は減ったでしょうから、支出の純増ではありませんが)。
公営住宅(Council Homes; 低所得層や生活保護を受けている人に国や地方自治体が低家賃または無料で提供する住宅)を現住人に格安で売り渡す政策を推進しました。短期的には、政府の収入が増えることになります。しかし、公営住宅を売ったところで、その需要が減るわけではありません(いや、後述するように失業率の高さ故むしろ増えた?)。一方、この時代、公営住宅を国が新規購入または建築することは多くなかったようです。結局、私企業(不動産屋)から国が家を借り上げてそういった人々に提供する必要が生じ、少し長期的に見ると、国の関連支出は増えることになりました。また、元々低所得の人が家を買い上げても結局ローンが支払えず抵当に入ることが頻繁にあり、銀行や不動産屋は大いに潤いました(間接的に国から安く入手した家を高く売れることになりますから)。
また税制改革を断行しました。
間接税を倍増させ(消費税が 8%→17.5%)、一方で特に
高所得層の直接税(所得税)を減税しました。住民税(=固定資産税)を廃止して人頭税(poll tax)に置換えました--- 言葉を替えれば、以前は所有資産価値によって大きく変わっていた住民税(+固定資産税)を全員一律にしました。当然、資産を持っていない人には相対的に厳しく、高級住宅に住む人には福音になりました。これらの結果、税制の逆累進制が進められ、
貧富の差が大いに拡大しました。
商取引における数々の法的制限を撤廃しました。英国の
金融業はこれにより潤い
発展しました。一方、
二次産業は次から次へと
廃業の憂き目を見ました。サッチャー時代の最初の不況では、20% の産業会社が潰れたとか。ロンドンの金融街はよかったかも知れませんが、一次・二次産業に頼るスコットランドでのダメージは計り知れないものがあったようです。失業率は鰻登り、記録更新が続きました。
ちなみに、当時、第一次石油ショックの余韻と第二次石油ショックのあおりで原油価格が高騰して結果的に北海油田からの利益が増えています。国の保護下にあった産業を切り捨てたこと、金融業の発展などにより、
失業者は激増したものの、英国の国民総生産の収支は保たれたようです。
犯罪数はサッチャーの時代に
倍増しました。警察国家を推進したことを考えれば、皮肉なことです。
これらのため、
英国内での南北格差は拡大しました。英国内の南北格差とは、南部(端的にはロンドン)は金持ちで、北部(端的にはスコットランド)は貧しい、という状況です。
# ちなみに、前述の人頭税は、スコットランドではイングランドより
# 1年早く導入されました。
サッチャーがスコットランド人には特に嫌われている理由のひとつでしょうか。本人のキャラクターとして、イングランド人のメンタリティが大きく、スコットランドを軽視する雰囲気があった、とも聞くので、それも大きかったのかも知れません。
# 余談ですが、この人頭税は、今では英国全土で廃止されていて、
# 固定資産税に似た意味を持つ住民税に戻っています。
# 「似た」と言うのは、住民税は、賃貸か所有かに関わらず、
# 住んでいる家の場所と不動産資産価値によって決定、所帯単位で
# 課税されるからです。
付け加えて、"Care in the Community"政策を断行しました。これは、それまで病院で入院治療されていた精神病患者を地域に返し、各家庭で面倒を見るようにした政策です。治療効果という意味でそれ自体は必ずしも悪いこととは限りませんが、当然、医師や看護士の各家庭への充実した出張ケアが前提になりましょう。
http://en.wikipedia.org/wiki/Care_in_the_Community現実には、この政策の主眼はコスト削減にあったようで、サッチャー政権で批判が高い政策の一つのようです。
以上が、内政の話です。
外交という意味では、フォークランド紛争で最も過激な方策を取った事(両軍に死者累累……。ただし、同戦争のおかげで、歴史的低迷をしていた内閣支持率は急回復し、後の国政選挙で圧勝、サッチャー時代を不動のものにしました)、ピノチェトやスハルトとの蜜月を公言、ネルソン・マンデラをテロリストとして指弾、イラン・イラク戦争中のうすら暗い取引や政策などなど、問題は数知れずありますね。ただ、一般論として、外交は、本人の国内の人気にはあまり影響しないものでしょうね。華々しい戦争を除いて。
色々聞いて回った僕の印象としては、サッチャーの政策には確かに、インパクトがあるものが多かったでしょうね。鉱山潰し、労働組合潰しがその最たるもので。「鉄の女」の渾名に表されるように、強面の印象があるのも事実でしょう。上述したように、政策そのものの問題は枚挙に暇がないにせよ、そういう感情レベルでの反感は、当時大きかったかも知れません。
# 最も有名なのは、1980年10月10日の保守党総会にての演説でしょう。
# それ自体が、Wikipediaに載っているくらい。
#
http://en.wikipedia.org/wiki/The_lady's_not_for_turning# 核心部を邦訳すると、
# 「マスコミが好むであろう[政策の]『取りやめ』宣言を息を潜めて
# 期待している面々に申し上げよう。私の答はただ一言だけ、
# 『やめたいものはそうすればよい。わらわはやめぬ。』」
#
# [邦訳が強烈に困難な原文です……。言葉を二重の意味に使っていて、
# おまけに言葉遊びとしての洒落も効いていてさらにインパクトを
# 増しているもので……。最後の文章は、「(政策を)とりやめる」に
# 「離党する」の意味を掛けています(かつ、駄洒落にもしている)。
# そして、最後の文の主語を通常の "I" ではなく、"The lady"
# としているのも強烈です。「鉄の女 (the Iron Lady)」の
# 渾名は当時すでに定着していたことが背景にあることと想像できます。]
それと相まって、英国で歴史上初めての女性首相というのもインパクトがあります。実際、「女だてらに」という男性からの感情的反感、および同性の女性からの「あんなの女じゃない」という軽蔑的反感との両方を感じることがあります(僕の個人的印象に過ぎませんが)。男尊女卑的な保守層からの反感の理由の一端は、多少はそこにあるかも知れません。スコットランドは、そういう意味ではイングランド以上に保守的な面がある(あった)ので、イングランド人女性首相というのは、反感を買う材料を増やした側面はありそうです。
サッチャー時代、一般にサッチャー政権(Thatcher Government)と呼ばれることが多かったようです。最近は、保守党政権(Conservative/Tory Government)、労働党政権(Labour Government)と呼ばれるのが普通であることを考えれば、当時のサッチャーの存在感の大きさが窺われます。よくも悪くも、マーガレット・サッチャーは、英国近代政治史に大きな足跡を残した人であることには、異論がないところでしょう。
以上、事実関係自体はそれなりにはちゃんと調べたつもりです。一方、述べる各項目の選択がどれほどバランスが取れたものかは、自信がありません。重要な項目で触れていないものもあれば、相対的にはそれほど重要でないのに採上げたものもあるかも知れません。加えて、僕は、英国で同時代を体験したわけではありませんから、原因などについては、僕の現在の(偏っているおそれもある)観察に基づくところも多々あって、多くの推測が混じります。全体としてそれほど大きくは外してなければいいと思うんですが。
2013-04-18
坂野正明