[オリジナルの場所に戻しました。2014.04.10 nfsw19]
2013-2-15 12:28:08
◎グレッグ・ミッチェルによるオリバー・ストーン監督インタビュー
TVシリーズ「原子爆弾」エピソード
志願してベトナムで陸軍に従軍し、帰還後1986年に「プラトーン」でアカデミー賞監督賞を受賞したオリバー・ストーン監督。以後、社会派監督として「7月4日に生まれて」、「JFK」、「ニクソン」等数々の問題作を発表した。その彼が手がけたテレビシリーズについて、ヒロシマに詳しいジャーナリスト、グレッグ・ミッチェルが、監督本人にインタビューした記事である。 「原爆は悲惨」だが「原爆が戦争を終結させた」という概念は戦後広くアメリカ社会に浸透してきた。この概念が「なぜ浸透したのか?」について、明かされない、あるいは表立っては語られてこなかった事実が多数存在することをインタビュー内でオリバーは示唆している。さらに、作成されたテレビシリーズが迫ろうとする戦争と原爆の真実、そしてそれらを巡るアメリカ文化についての自身の解釈を語っている。
訳者は広島出身在住であるが、被爆した側が正面からこの概念に反対することがはばかられる空気の存在を、もう随分と長く感じている。被爆した立場から訴えることで、どうしてもそぎ落とされてしまう、届かないメッセージが発生することを、かつてそれを訴えた歴史の中から身を以て学んできたからだろう。
一方、原爆投下したアメリカには、原爆について偏った理解が進んでも、不正確な認識を容認してきた文化がある。そんな中、インタビュアーのグレッグ・ミッチェル、そしてインタビューを受けたオリバー・ストーンの両者は丹念に史実を紐解きながら「原爆投下は誤りであった。」ということを訴え続けてきた。それが、オリバー・ストーン監督のテレビシリーズ作品の中で正面からとらえられていること、そしてインタビューで率直に語り合う二人の歴史観が広くインターネットに公開されている事実が示唆するのは、この二人やインタビュー内で名前の挙がった活動家、そしてそれを支持した人々の平和を願う強い意志ではないだろうか。
日本はアジアでの戦争の歴史においては加害者の顔を持つことに加えて戦後の日米関係の中で、原爆投下(加害)に対するに一般的なアメリカによる認識の誤りを「アメリカに届く形」で指摘することに失敗してきた。インタビュー中にもあるように、人間の本質として誤りを認めることは難しい。しかし、人間は過ちを起こすものだという前提から、加害者、被害者の立場を超えて「歴史の正しい認識」を最優先したうえで、国内外への発信をおこなうべきだということに、もっと多くの日本人が気付くべきであろう。
訳者はこの記事を翻訳するにあたり、TUPの活動をこれまで長年支えてきた仲間から多くのアドバイスをもらい、自身の認識のズレに気付かせてもらい、さらに勉強不足による知識のなさを痛感することになった。この場を借りて仲間に感謝の意を表したい。同時に、今後の活動を息長く続けることを目指し、その中で自分に何ができるかを真剣に問い続けたいと思う。
〔翻訳: 宮原 美佳子(前書とも)/TUP〕
凡例: (原注) [訳注]
オリバー・ストーン監督インタビュー
今夜放映のTVシリーズ「原子爆弾」エピソード
2012年11月26日 [ザ・ネイション]
グレッグ・ミッチェル
あの有名な監督(かつ歴史通でもある)オリバー・ストーンが手がける待望のTVシリーズ『Untold History of the United States[仮訳:語られざるアメリカの歴史]』が11月12日の「ショータイム」で放映されました。このTVシリーズは第二次世界大戦の直前直後にまずは焦点を絞り、次いでそれ以降のアメリカの戦争(冷戦も含め)やその他の問題に同じテーマで切り込んでいきます。
シリーズ第三話となる今夜放映のエピソードは(ほとんどのアメリカ人にとって、ということですが)日本へのアメリカの原子爆弾投下について新たな視点を提供しています。
本シリーズについては、ストーンと歴史家のピーター・クズニックが同タイトルの関連本を堂々の700ページ超のハードカバー本として上梓しています。そのストーリーはTVシリーズより少し前の第一次世界大戦からオバマの時代までをえがいており、とりわけミハイル・ゴルバチョフ、ダグラス・ブリンクリー[1]、そして「これでハワード・ジン[2]も鼻が高いだろう」と言ったダニエル・エルスバーグ[3]をはじめとした人々の推薦文で飾られています。
ヒロシマの章では、当時の原爆投下が誤りであったことを強調しています。ストーンとクズニックは、旧ソ連が原爆投下二日後に、アメリカが強く求めていた通りに対日参戦したことに焦点を当てました。原爆投下が無かったとしても、事態を一変させるこの衝撃的な旧ソ連参戦により、日本は速やかに降伏せざるをえない状況になっていたことでしょう。しかし実際には、二都市への原爆投下により20万人以上の命が犠牲になり、しかもその大多数が女性や子どもなどの一般市民だったのです。
アメリカン大学で教鞭をとるクズニックは、同大学の核研究所の所長も兼務しており、これまで広範にわたり原子爆弾について書き著わしてきました。さらに毎年、担当するクラスの一組を広島と長崎へ連れて行っています。思い起こせば私自身も1984年に1カ月にわたり広島と長崎とに滞在したものでした。(同じテーマの私の本の一つ[4]およびウェブ掲載記事[5]があります。二人の兵士が撮影した広島と長崎の歴史的映像と数十年にわたりその映像が封印されてきた様子を書いた作品です。)
ストーンとクズニックは、その本の48ページを割いたヒロシマの章のタイトルを『The Bomb: Tragedy of a Small Man[仮訳:原爆―あるちっぽけな男の悲劇]』としています。もちろん「ちっぽけな男」とはトルーマン大統領を指しています。仮に1944年の大統領選で進歩主義のヒーローだったヘンリー・ウォレスが俗物政治家のトルーマンに副大統領の指名を奪われていなければ、(原爆投下と冷戦に至った経緯について)歴史はもっと違っていただろうと、この本そしてTVシリーズでも主張しています。しかし、ストーンはどのようにしてトルーマンによる原爆投下の判断が誤りだとするに至ったのでしょうか? 数日前の彼へのインタビューは、この質問からスタートしました。
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